スタートレックVoyager (宇宙船)飛行姿はオオサンショウウオの泥沼を泳ぐ姿。昨年末来オンライン漫画でジパング(イージス艦みらい)・沈黙の艦隊(潜水艦やまと)他メカが上手いなぁと読始めてのめり込んでいる。ノイスNeussからデュッセ南方間を家族での週末サイクリングする際に育った環境から癖でライン河の水位に目が行くその地点表示が「737」あぁボーイング旅客機の機種番号じゃん。そぉ言えば707も良く聞いた。と、ググる。添付の絵、先を走る黄色い潜水艦はYellowSubmarineと言うか、マブチモーターが上に吸盤を着けて売ってた「水中モーターS-1?」記憶はあっちこっちへとブレる。横山光輝(鉄人28号/魔法使いサリー)とばかり思ってたが小沢さとる。(横山光輝の住所、豊島区千早町は前述ジョージ秋山が住んでた辺り)ジャイアントロボをマグマ大使とまぜこぜで手塚治虫とうろ覚えしてた。偶に頭をリセットする必要を感ずる。中高生の頃は望月三起也・松本零士・石森章太郎の機械メカ漫画にぞっこんだった。プラモデルを基に自分でも零戦・メッサーシュミット・スピットファイア等真っ白なノートにかいたり、米TVコンバットの音声をオープンリールに録音しては画面字幕を思い出してはアメリカ~なーAmerikaner 米兵だ等と発音真似ていた。今だったらアラレ・ブルマかジブリのメカに引かれる様な物である。


Voyager の話に戻す。テーマ音楽の前にまずVorspann (導入部/オープニングクレジットとネットで訳が出て来る。此って手抜きと思う)、テーマ音楽と続くがテーマが流れると生後半年の孫がスクワット的に拍子を取る。もう6歳になるお兄ちゃんが同じ仕草をしていた。時が経つのは早い。彼らが成人するまで12-18年。それでも人生100年の八掛け。今は七掛けだぞ意識しっかり持ち続けねばと思う。



一寸脱線。デュッセHbf中央駅ホームから列車メカ部を見せたくて撮った写真。ボン近郊Königswinter Petersberg 頂上の高級ホテル会議室を訪れる機会あり、窓の下ライン河と川沿いに走る列車を何気なく見てた事があった。もうメルクリンそのもの。NRW州中運行担当により列車カラーが変わる。鉄道模型をドラッグ拡大した気持ちで時にウキウキする。Kind im Manne(大人に成ってもクスグる子供心)いっそ自分が巨人になってひっくり返したり色々してみたくなる。フランク単身赴任時にドイツ流12階の最上階オフィスに5年程いた時、アウトバーンA5号線を窓から見下ろし、時に二重の虹を見たり、ユンカースJU52旧式旅客機(後述)の遊覧飛行、交通渋滞チェックのヘリコプターをミニチュアで動きを見たりと、円谷TV映画、ウルトラマン・ウルトラセブンのピアノ線飛行機見たい。仕事はやっていても良い目の保養をしてた事も有った。

会社を辞めてから時間が出来たので其れ迄弟夫婦任せだった母の家日本の深川に行きだした。コロナ禍数年前から深川の家に夏の熱中症防止時期と冬の雪かき時期を目処にしてたが、生憎コロナ禍に入り帰独便キャンセル。日本滞在延長の上時間潰しが必要となった。親父が残したTV 録画器を動かす。受像器の字幕設定と済ませ、銀行口座。携帯。PASMO。住民登録し、銀行口座開設と携帯は手間取った。入国スタンプを取らないでいたので、入国管理局へ行って正式な証明書を取り付け後手後手に済ませた。其までは、ネットカフェで旧巣の情報を集める。全部、アナログ対応。幸い必要は発(明)案の母。知恵は湧いて来た。ドイツから持って来てたドイツ携帯と(回線の無い)タブレットを持って錦糸町の電機量販店へ。店内Wifiでググる手を思い付く。(因みにドイツではWLAN,wireless lokal area networkの頭文字読んでヴェーランと言う。)電話は公衆電話を探し、テレホンカードで、大学男声合唱団の練習日程・場所を基に面識有る先輩に連絡を取り練習場へ向かった。母のガラケーを持って、ドイツ携帯は機種が古くGPS精度低く、丸善で東京都・神奈川県(横浜)の細かい「地図」を購入しようかナ?でも今回だけ誰かに道を聞こうかと思ったその時、又もやマルコポーロ竹取オキナにチャンスが来た。で練習場に部外者侵入する塩梅となった。



別の話。The Innocent英語で形容詞にthe付けると複数の内容を示唆する。ドイツ語でUnschuldige(無実の人々)原作の映画をARD/ZDF/3SAT/Arte何処だか忘れたがドイツTVで見た。壁が造られる6年前1955年のベルリンを舞台に冷戦の前哨戦が描かれていた。Tempelhof空港のシーン、ロッセリーニとカサブランカの母バーグマンと重なる。東独ベルリン空港、此の空港名は統一後再開発するかのニュースで聞いた。



上に紹介の映画は主人公が米ダグラスDC3の英国機という珍しい(当時としては当たり前の)状態だった。此れにヒロイン・ロッセリーニを残し英国へ戻るシーン有り。ベルリンの壁が壊される瞬間を再会した二人で見るシーンで終る。添付したのはフランク事務所窓から横を通り過ぎてた独遊覧飛行機ユンカースJU52愛称はタンテTante「叔母サン」。82年8月末にルフトハンザのハンブルク経由フランク便で赴任した時、空港ラウンジ内のライアンのジュラルミン生地の機体(リンドバーグ大西洋横断飛行に使った)と合わせ空港テラスのJU52実機も目にした。如何にもレトロ。板の強度を出す為に洗濯板状にした機体表面。85年春に空港に爆弾テロが有ってライアンは破壊されたと思う。95年Ex嫁の弟(義理の弟)の結婚式に合わせ泊まった親戚のアパートにはユンカースの熱湯湯沸かしタンクが有った。お風呂等の湯も炊いている釜兼タンクは正に「オバサン」機体を思わせるデコボコ地の物であった。思わず手を伸ばして触ってしまった。レトロといえば大型水上機や爆撃機の名前にあるDornierドルニエは飛行船Zeppelinゆかりの会社で瑞西・墺太利国境のボーデン湖Bodensee近くに工場もあり、一時存続が危ぶまれたが、再編・風力発電機器メーカーになっているらしい。潜水服メーカーDrägerも医療機器展示会に出展する等、基礎技術を別の分野に広げている。まぁ、トヨタも織機、オペルもミシン、飛行機のライト兄弟は自転車工房と基本的にコンポーネント技術の延長から行ったといえば言えそうだ。



ユンカースJU52同様82年8月にフランク空港で見たのはリンドバーグのRyanNYP Spirit of St.Louis。此の映画「翼よ、あれがパリの灯だ」もJ.ステュワートが操縦士リンドバーグの主役だった。