老舗書店の漫画・ComicsエリアにはDoragonBall独版とか仏アステリックスの各国欧州語版・方言(Mundart)版が有った。アメリカ迄足を伸ばしたりしてます。Tour de FranceのUnterfränkisch版がこんな感じ。åはオに近いgnは鼻濁音的gナノカ?赤い楕円は「ジャジヤーン、最初のUnterfränk訳版登場。~さんが訳してま~す。」フランケン地方とは大雑把に下の地図Ostfränkisch東/Südfränkisch南辺、Beutel布袋と呼ばれるビンに詰めたFrankenweinワインでも有名(ロマンチック街道起点ヴュルツブルク・ニュルンベルク・東独境ホーフ)、ワインは辛口。話を戻そう、ウィーン方言・スイス方言と言うのもある。因みに、ドイツTVでスイス方言丈が主に字幕付で放映される。オーストリアの下宿の女将さん・ドイツ嫁の母親共にスイスに「お手伝い」に行ってたが、共通してスイス人は倹約家=ケチと言っていた。左上に方言の種類が書かれている。uff < auf (auf deutschはドイツ語で)、語源的に英語のupと同じなのでしょう。現在使用例はon/ontoですが。此れとの(芋づる式お友達は)ドイツ語ではan(am/ans) :  Frankfurt am Main / Stratford on Avon。



日本語版を進めている人のサイトが有る様です。オリジナルページと日本語ページ対比してます。仏語学習者は参考下さい。



ドイツ民謡の本の見開きページに人々がそれ程、産まれた土地を離れなかったであろう(流動性少ない)頃の方言地図が載ってた。デュッセ南のBenrathと言う地区に小さなお城(Villa)がある。昔、良く見た「Ich-Ik/ick」線、が通る地点の名からBenrather Linie とも呼ばれていた(蘭語では一人称単数はIK ) 線のコッチとアッチで(一丁目と二丁目で)ハッキリ変わる訳ではないがデュッセの平たい部分に有るのが面白い。と言うのは、地形が著しく変わる「山脈」とかが方言伝播の妨げと習っていたからで、越後と北陸の方言境とかにイメージがわく。オランダ国境に面するフィアゼン郡で働いてた頃、土地っ子間でes jeht jut.(es geht gut調子良い)とかgが極端にj(発音はヤ行)だった。昨日gestern はイェㇲターン、英Yesterday に通じてくる。Bläck Fööss の歌詞サイトには綴こそ多様ながら沢山例を見つけられる。tät < däit ( did ) eの長母音がエイの様に聞こえるのは英語・米語が外国語借語?Leihwörterを発音記号で表示するパターンに似ている。



大学4年の夏、皆が就職活動してる中、僕は方言学の教授に付いて南房総半島の方言調査グループに入っていた。山間部の農家の年配の方を訪問して調査票に応えを記入するのである。女性には嫁入り前の村名も確認。生まれ故郷の影響を考えての事だ。市民局に使用目的明確にして取り寄せの住所録を分別担当。山中をマムシ?が這っているのを横目に牛小屋等を巡る。「アンタ、オナゴの様な手してる。」農家の女性でも手荒れして来た目には都会育ちは「ヤワ」に映った様だ。土地柄家々は離れ離れ、歩いて廻ったから数は限られ、夕刻調査票を回収。数日間の調査だった。社会人になった数年後に発表が有った学内誌が送られて来た。調査員名に自分の名前も載っていた。丁寧な作業。多分調査した相手にはお礼の書状が送られているのだろう。自分の名前でなく「里言葉を学ぶ会」の名刺を大学住所にて配っていた。