添付したのはドイツ学生歌シリーズのレコードジャケット。全部で3枚ある。深川図書館から1枚づつ3枚借りてマイク越しにソニーの(モノ)カセットレコーダーで録音・歌詞カードを書き写したのも高3の頃だった。今ユーチューブで聴けるから便利に成った物だ。Deutsche Universität Lieder / Studentenlieder で検索しても出てくる。

最初の歌は忘れもしない、ブラームスの大学祝典序曲にも引用されているメロディー、

Was kommt dort von der Höh'

18世紀当時の交通手段は郵便馬車だった様で、郵便馬車が連れて来る「Fuchsキツネ=新入学生」に短いフレーズでドンドン謎解きがなされる。歌詞上意味のない形容詞ledern(革製の)が語尾変化して、Postillon 馬車の御者/ Fuchs/en 新入りに被って行く。相当な数量の歌詞カード筆記でも楽しかった。野バラ等民謡も入っている。野バラのメロディーには殆どクンツ録音のイントロが思い浮かぶ。

社会人に成って此の3枚組ワンセットLPレコードセットを買った。衝動買い。箱は若草色?の緑。此れは「Kommersbuch」学生歌の歌本の色。高価な本、引継いで後輩に譲って行ったのかは知らないがゴツい表紙、更に真鍮の鋲が打って合った。10年以上前にデュッセ老舗書店、Sternverlagの最上階アンティーク部門の本棚に此れの実物を手にした時の感動ったら大変な物だった。何度も拝みに行ったが数百ユーロと高かったので諦めた。その後誰かが買っていったし、Sternverlag自体閉店。外国語辞典も医療関係他細部に渡って図書館の様な大店であった。マルコポーロの東方見聞録のドイツ語版は見つかり、日本の描写部分にはシオリを差込んである。同じ出版会社からはスカンジナビア語の言語学概論があった。偶々どちらも見つけたのだが更にアンティーク部門で探した物がある。大学3年秋にDTV(ドイツペーパーバック老舗) Siegfried Lenz Erzählungenの題目1篇の翻訳が宿題になった、そのDTVが何度探しても見つからなかった。白い表紙に濃淡ピンク色の三角形が描いてあったと思う。僕が選んで訳したのは、2次大戦時ドイツ兵が捕虜となりソ連の捕虜収容所で過ごした話。翻訳時にTVミッションImpピーター・グレイブスが悪役を務めた映画「第17捕虜収容所」をイメージした。訳してる内に場面が目に見えて来た様でスリリングな状況まで行って、音楽ならフォルティッシモでちょん切りする様なエンディングだった。書き下ろしで提出したからコピーも取らなかった。今思い出しても悔しい限り。


脱線してしまった。学生歌話に戻ろう。

大学、男声合唱団で歌ったミュージカルもう1本はStudent Prince 学生王子。アルト・ハイデルベルクを題材としている。オーストリア赴任中、夏休みに赴任時に貰ったチケット余りの消化を兼ねて欧州縦断を試みた。人魚姫に会いにコペンハーゲンへDC10で、その日の内にアムステルダムへ飛んだ。コペン空港ではお土産屋で時間取りすぎ、チェックインした誰某さ〜んと港内アナウンスを受けてしまった。Europassと言う学生年齢に可能な鉄道旅券で、アムスからは日程中盤フランクフルトの事務所に呼びつけられてる以外、勝手気まま。アムスでゴッホ・レンブラント実物鑑賞、アンネフランクの隠れ家等じっくり見てたら1日延長滞在時間。中央駅からデュイスブルク、ケルン、ライン河に沿ってローレライ、マインツ、ハイデルベルク駅のツーリストセンターで宿を見つけトラムで移動、又予定変更2泊、ハイデルベルク城、飲み屋街、ネッカー河に架かる橋の袂でゆっくりビールジョッキを傾ける。Prost, Karl-Heinz ! Gruss an Käthi ! (ウェートレスのケーティに宜しく! )息子が大学に入った時、主人公が受けた同様の授礼式?に親として招待されGaudeamus. 他数曲を簡易Kommersbuchに沿い唱和した。Denkmal古い建物で文化財指定のVilla内部を内部改装した学生寮に暫く息子は入っていた。食堂兼集会室窓際には5-60センチ高さのキツネの剥製がプロシアンブルーに赤の縁取りの学生服を着て飾られていた。その後、式典進行グループに入って、サージェントペパー如き色とりどりの軍服を着て、サーベル下げSergeサージェと成った。皆の前に座り、机の上にサーベルを乗せるマナイタあり、進行が何か言葉を言うと左右に別れて座っているサージェがバシッと音をたてる。鞭の感じ。本当に軍隊の真似事している。DVDながら傍観者として気持ちが滅入ってくる。彼もそう思ったのか暫くして辞めた。(欧州何処かにキナ臭かった18世紀とウクライナは別としてユーゴが落ち着いた21世紀ではキナ臭さにアレルギー対応したくなる。)


アルト・ハイデルベルクを基にアメリカで作曲されたStudent Princeのミュージカルは映画も有って、Karl-Heinz の歌の吹替はイタリア系のMario Lanzaが演っていたらしい。彼も大っぴらに主要曲でLP出しているから。

何れ、映画のサウンドトラックを夜中にテープ録音していた、此れを何度も聴いているとビールジョッキ/KrugをSteinと言ってたりするのが分かる。Salamanderと言うシーンがある。此はシュナップスの小さなグラスをテーブルの上でとゴロゴロと音を立てる事らしい。

小津監督に関わる話で、映画は何十回と見る事。最初は筋、全体像を掴む。其れから同じシーンでも視点を変えながら観察・鑑賞すると発見があるそうだ。カメラマンの腕かも知れないし、黒澤監督なら全て自分でシーンカットも画いてたろう。何度も聴いたテープの他、今ブログを書きながら、僕の頭の中は目の前に見えたシーンを若干似た様に視点をズラして回想してる様だ。その為、誤字脱字他、表現を換えて後に成って変更・追記している。

話は一寸変わって、会社を辞めた時、先の事が心配で頭が一杯だった。町医者の勧めでメンタルカウンセリングを受けた。幾つか此のブログにも書いた、厳しい親父の根気よく(男として優しく)自転車・逆上がりを教わった思い出等、「昔」を整理戸棚に入れて行く作業をしてる内に、頭はスッキリし、寝付きも善くなった。イメージとして、WINDOWSコンピューターで定期的にやってた「最適化/Optimieren」を自分の脳細胞でもやった感じ。夢が明るい印象になった。


元の筋に戻ろう。

フランクの会社寄ってロマンチック街道行バスツアー見つからず。もう一度ハイデルベルクへ戻り、ハイデルベルクキャスト?Student PrinceのLP他学生歌・Sea Chanty等レコード購入。レンタカーでアウトバーン2車線A5号北上、フランクで3車線A3号乗換。空港近く、合計5車線に広がる。流石ドイツ。音楽的にフォルティッシモ。更に旅客機が並んで高度を下げてくる。小松政夫的、モーターイヘン。と2車線ピアノ状態でクネクネとヴュルツブルクから平坦な道ローテンブルグ、オーストリアへ戻ったかと思う名も知らぬお城が偶に遠方に見える中、VWポロは転がる。レーゲンスブルク、アウグスブルクを掠め通る、アウトバーン休憩エリアで車中泊。ニュルンベルク辺りから真っ直ぐな道だったので眠気が襲って来たから。其れにしても未だ平和、安全な国だった。起床し一路フュッセン目指し南下。Allgäu地方 Ettal の修道院・木彫工芸の里、噴水も有名なLinderhof 城見学。ドイツ語英語ガイド出払っていて、フランス語ガイドのツアーに合流し説明がルイ(ルートヴィッヒ)云々、フランスの王様と同名? ワーグナー曰くの洞窟。ノイシュヴァンシュタイン城へ急いだ。向いのホーエンシュヴァンガウ城も仏語ガイド。さあシンデレラ城へと思ったら濃い霧。ルイ、ルイと同じ様な内装の建物見たし、白いお城はお預け、レンタカー乗捨てにミュンヘンへ戻り、駅のツーリストセンターで宿探し、ホーフブロイハウス目指したが、、真夜中24時閉店。市庁舎前の「元祖」ヴァイスヴルスト(白ソーセージ)を食べた。街頭でヴァイツェンビール飲みながら市庁舎を眺めた。バイエルンでは此のソーセージを上手く茹でるのが嫁入り条件だったとか。日本の糠味噌条項を思い出した。何処でもお袋の味を求めたのだろう。開けて最終日、ミュンヘン中央駅から国境駅Freilassing通過ザルツブルグ・リンツ・ウィーン西駅、ウィーン南駅からGraz他イタリア方面に乗ってWr.Neustadtヴェアナーノイシュタット駅で同じくチョンガーの同じ下宿同僚にピックアップして貰った。此の休暇が何とか行ったのは、Europass切符とThomasCook旅行社発行の欧州時刻表のお陰だった。日本で貿易事務をしてた時の先輩がロンドンに赴任していて、お願いして入手していた。82年8月度とあるか、ギリギリ送ってもらったようだ。此の時刻表の存在を何処から知ったのか、忘れてしまった。其れにしても現在ならネット・携帯でやれる事をアナログ、くちコミ他別の手段で丹念に捜し出す作業を昔は当たり前と感じてたのだろう。自分・周りの知人の協力その労力を敬いたい。