ドラゴンボールの作者の悲報があった。同じ世代だから更に厳しい。同じTV漫画を視てた世代、僕も中学・高校と隙に任せては飛行機写真を基に好きな「絵」を下手なりに描いていた。

デュッセの家には、娘が揃えたドラゴンボール全シリーズのドイツ語版の隅に日本語版数冊が背表紙の緑の龍を連ね僕の好きな鉄腕アトムの「史上最強のロボット」「ロボイド」、じゃりン子チエ数冊と並んでドッカンと座っている。

僕が小6の時に同級生引越し先の(東京北側)豊島区へ行き、「ジョージ秋山」が住んでるアパートに勿論勝手にピンポンしてサインを貰いに行った。風邪で寝込んでるにもかかわらず2階建ての2階まで案内された階段左右にはギッシリと漫画本が置かれ、さながら神保町の漫画本専門店に入った様な感じだった。奥さんに画用紙を渡され、パットマンXがキーコキーコと3輪車を漕ぐ絵にジョージ秋山と大きなサインを戴いた。

漫画家が締切原稿催促に来るやり取りは誰かが自作で発表していたが、68年の事で、彼も始めては赤塚不二夫と同じ様な路線、手塚治虫がヤキモチ焼いたと言う劇画も流行る前、70年以降分野が多岐に別れ、望月三起也が戦車などメカを売り物、白土三平のサスケ、石ノ森章太郎のサイボーグ009などマニアックな物が溢れる一方、水木しげるの妖怪路線に影響されていた。

さて、故人は別の意味で、メカにうるさい読者層とギャグなキャラクタで先ずアラレを、更に里見八犬伝的展開「仮面ライダー以上の」変身・変化で悟空へ画風にさらに換えて行った。


故人の御冥福を祈る。