ユーロヴィジョンは国境を跨いだ放送網で、汎欧州お祭りESCの他、ドイツ語圏独墺瑞のVolksmusik 、ミュンヘンのOktoberfest のテント中で流れる音楽をMusikantenstadlほかのど自慢等を演っていた。オーストリア時代には日本人ヨーデルを聴くことも有ったし、90年頃Patrona Bavariaeが流行った。アルペン音楽と言うか、子供等が中高生だった頃僕が偶に車のカセットで流すと毛嫌いしたくせに友達同士でOktoberfest 行きを計画する等一寸筋が通って無かった。他に「ナントカ自慢Wetten dass」例としてVWビートルに何人寿司詰め出来るかいった人数をやれるかゲストが賭けると言う感じだった。当てが外れるとそのゲストは自分が提供罰として何かをしないといけない。「ドイツ版びっくりカメラVerstehen Sie Spass?」他、民放が無く御茶の間はTV= Pantoffel-Theaterスリッパ履いて気楽に見れる劇場であった。オーストリアに行った頃、前任者のアパートに有った昼間TV付けても自転車競技かプールへの飛び込み競技を延々とやってる。1+3+4+6+8+10+12 東京7番組だったから雲泥の差。朝日が10番、固定のダイヤル。ああ「アポロ11号の月面着陸+11pm(テレビ番組名です)+ゲバゲバ90分の組合せ」で「+大阪万博」もしくは「+万国びっくりショー」と、歌手だったら「三波春夫のこんにちはこんにちは」をイメージ出来たら僕と同じ時代の空気を吸ったかたです。まだまだ元気で頑張って下さい。


ESCは大体5月に開催されている。Pan Europe汎欧州の様相。各国代表曲はそろそろ決まる頃だ。昔、西側諸国と状況が変わり何々スタン他まで参加国が多すぎるので、財政補助の大きな国はそのままシード、小さな国は2回に分けられた予選で選ばれる。投票は参加国全部という2重構造。政治背景からロシア・ベラルーシは昨年度外視された。先週ドイツ代表曲を選んでたと思う。司会のBarbara Schönebergerが出てたから。一昔前はStefan Raabが自作曲混じえて演出してた。(彼の推しでLenaが2人目のドイツ代表優勝) 此の2ヶ月でプロモーション作戦がいる。スカンジナビアが強いのは3国間殆ど同じ言葉なのもあろう。自国語以外英語での出展・歌唱も許さてている。自国以外に投票する決まりだからドイツ語圏は仲違いするせいもあり、無勢だ。旧ソビエト・ユーゴスラビア各国が参加する時代が訪れ、ロシア語サーボクロアチア語(セルビア語クロアチア語)等で互いに得点を与え合うなど、セルビア、ウクライナ優勝の舞台裏だと思う。偶にイタリアが参加する事が有り、「Non ho l'eta/ No tengo edad」優勝のジリオラ・チンクェッティが司会の1人で有った。(彼女はLa Pioggiaもスペイン語で歌っている。) 国籍は不問ながら、未発表曲が必須。カナダ人Celine Dion もスイス代表で出てたし、日本でビッキー、ギリシャ人Victoria Leandrosがルクセンブルグ代表フランス語曲で出てた( Apre toi / after you) 彼女はMy heart goes on 映画Titanic主題歌のドイツ語版をヒットさせた。此の歌はスペイン語のカバーをオペラ歌手が歌っている。ニューシネマ・パラダイスのメロディーは哀愁を帯びた物だが、此れにはイタリア語歌詞があり、Bocelliが映画主題歌を纏めたCDを出していて慕情の主題歌等と一緒にイタリア語で歌っている。

映画Bodyguardの主題歌はKatherin Jenkins が自作イタリア訳をDollyPattonに直々交渉していたとの話。彼女を始めて聴いて、此の歌丈でなくDo not stand at my grave and weep/ I vow to my countryに聴きいった。後者は日本題Jupiter「惑星」のメロディー。前者は日本語訳に日本人が別のメロディーを作曲して「私のお墓の前で泣かないで下さい」となった。Jenkins のは別個メロディーだが聴き応えがある。Nicole 同様美人。一寸怖いけど、ハンブルクでロングランしたドイツ版「Cats」初期にMemory / Erinnerung を歌ったのはAngelika Milster。ストライザントと何時も聴比べてる。コロナ禍で日本に長居する間に劇団四季の日本語版CDも手に入れた。日本版ラ・マンチャの男はプログラムしか手に入らない。見果てぬ夢の日本語歌詞はまだ先延ばし。此の中、酒屋のアルドンザへの暴力シーンで歌われるLittle Bird, little Bird(Kleiner Fink,kleiner Fink)は英独は小鳥への歌で場面と関係ない歌詞メロディーなので好きなのだが、場面が場面丈にブレルの仏語や西語版はSans amour,sans amour /sin amor,sin amor(without love)と成るので一寸手ぐすねしている。(ピーターオトゥール/ソフィアローレンの映画にて何を僕が言っているのか確認されたし) 仏語版では女声アルトが聴こえる様だが、定かではない。(木枯らし紋次郎ナレーション芥川隆行風)


オーストリアに居た時、英国代表がESC優勝した翌年だったので開催国は英国大会。優勝がNicoleのEin bisschen Frieden/a little bit of peace でドイツ代表始めての優勝で有った。丁度僕のアシスタントの女の子に似て可愛い娘だったので直ぐLPを買った。優勝が決まって舞台へ登場再度歌った際に英語他、フランス語、スペイン語等混じえて歌っていた。因みに彼女はフランス隣接のSaarland州の出身である。添付はその前年に買ったESCの優勝曲2枚組のLP セットである。当時は売上の一部が寄附に廻る風潮が有った。はじめの頃紹介のウドはオーストリア代表であり、優勝曲は開催国フランスに向けてMerci Cherie( Cherie > Thank you my darling)で有った。

85年はノルウェーのBobby Socks/La det swinge ( Let it swing)だったと思う。リズミカルな歌でduoは解散し後日ソロ出場でEvihed/Eternity (Ewigkeit ) を歌唱した。ゆったりしたバラードだった。91年の優勝曲は瑞国CarolaのFångad av en stormvind / Gefangen in einem Storm(wind)/ Captured by lovestorm

は小泉今日子を思わせる元気さが印象的だった。er=is,ist  og=and,und 名詞の複数形は-er 他スカンジナビア語はコツを掴めばドイツ語辺りから通じる物がある。「中国で筆談する」的感覚。WASA

CM: Du bist Wat du isst/Du är vad du äter/   スーパーのチラシのbillig (安)


英語文法はしっかり物にしておく。基がラテン語かギリシャ語でどの欧州言語にも影響を及ぼしている。受験勉強時に使った独英比較文法は今だに重宝してる。「not,but 〜では無いが然し」「not only, but also」強調構文「(it is) good to see you」イタリア語 dolce sentire = nice to feel.  複雑そうな歌詞からも

dolce capire ,  che no son piu solo,

   nice to understand, (that I'm) no more        lonely


ma che son parte di..

    but (that I'm) part of..

とラフな漠然としたイメージが出てくる


英語よりドイツ語の方が修飾関連を分解し易い、枠構造というコブが此の際役立つ。ドイツ再統一時に仕事上数多の種類の書類を目にし、必要とあらば箇条書きに要点を社内回覧した。独文で無く独語で幅広い分野の文章を大学で目にした事。学術文章、論文の書く手順を授業で受けてたのが役立った。新聞記事等は斜めに目を通し、興味深い物は辞書首っ引きで取り掛った。


ドイツ民放TV は放送開始84年らしいが知名度・認知はもっと遅かった気がする。85年夏から88年春迄日本に戻っていたが、再度ドイツに来て「民放 Privatsender ?」と思った。子供の為にビデオデッキVHSでNiklaas(フランダースの犬)を撮ってた気がする。土曜午後に思い付きで、あのレンブラントの絵の本物を見に行こうと「片道3時間」掛けて行ったのだけは覚えている。独蘭国境は夜中に閉まるかも知れないとガス欠と時計、隣国含んだ地図頼みの珍道中で有った。オランダ・ベルギー各国へ行くにも若干の両替をし、余れば国境近くのガソリンスタンドで使い果たした。あ、ベルギーでは町中のスタンドが土曜早めに閉まっていて、泣く泣く高速道路で「Eurocheck欧州小切手」払いをしてきた。このオイロシェック、ウドのIch war noch niemals in New York / I've never been in NY.( 日本で「ニューヨークに行きたい」というミュージカル題名にもなった曲)で主人公、何処にでもいる中年のオッサンがタバコを買いに夕方アパートを出た直後に手持ち品を調べる時に出てくる物です。不思議と身分証明書でなくパスポートとユーロシェックを持っていた彼は行き当たりばったりのフライトでNYへ行こうかと夢想。飛んで飛んで飛んで〜。何回かサビを歌った後、原曲どうしたのかはお楽しみとして置きましょう。