HiNo


2週間前迄一番厚めのコートの中に数枚着込んでも寒いと思ってましたが、今や汗ばむ。
日本に居た頃BSで月曜はフォレスタ、土曜は朝日を楽しみにしてた。前者は歌詞が表記され、後者は細かい作詞者作曲者の説明が在り興味深い。曲の再放送回数が頻繁なのと、ほのかちゃんが出過ぎなのを差引ても、大中恩と阪田寛夫を交えての説明楽しい雛祭りのサトウハチロー等面白い。最近ではユーチューブからアップの案内が来る様になった。さて本題の早春譜、林光さん編曲のものの間奏部に「五月よ来たれ(仮)」
Komm, lieber Mai, und mache

die Bäume wieder grün,という歌とメロディーを種明かししている。ドイツでは5月が春の代名詞。イタリアでは4月がトスティの歌等でその趣きを醸し出している。Burschenlust若者の気持ちと言う歌では「5月に成り木も花を咲かせだす。その季節を満喫する気が無いのなら陰気なまま家に籠もって居るがいい」とまで表現する。


30年程前、オランダ国境村に住んでた頃、5月1日の前夜に20メートル程の棍棒を緑に、テッペンには色とりどりに飾ったマイバウムMaibaum を夜を徹して番をする事等付き合った。オーストリアの村で見た時は中心部に一本丈色とりどりのテープを編物交差する踊りで棍棒部分を包んでいった。さて誰も番が居ないと、そこのMaibaumは切り倒されてしまう。晦日から秒読みし5月になったその真夜中、誰となく先程の歌のメロディーを発した時に、Der Mai ist gekommen.Die Bäume schlagen ausと日本人が歌出したものだから、引越先近所の人々が目を丸くして驚いた。此の歌はドイツ語講座でErich Kunzの「ドイツ学生歌Vanguard版」をオープンリールで聴いてた物で、その後LPを深川図書館から借りてもいた。当時ドイツ民謡に乗って居ないものは歌詞カードから手書きで写したものだった。(ゼロックスコピーは当時高価だった為である。)以後、皆とduzenの盃を交し近所付き合いの潤滑油になった。ドイツの村の男声合唱団に入るまで未だ3年を待つ事となる。社会人となって15年プラスこの家建てに費やした3年後18年を合唱無しに過ごした僕の第3の故郷は近所の住民・子供らの小学校からギムナジウム(中高一貫校、留年は容赦なくされる)足掛で大学入学迄・と村の合唱団の3輪に支えられた。途中フランクへの単身赴任とかあったが、お仕着せの曲目・新曲も楽譜を郵便受けに演奏予定日リストと共に預かる事で新たに18年続けられた。


今後は一人称を「僕」とします。