オーストリア・フォルヒテンシュタインから西ドイツ・フランクフルトへ此れも急に転勤が決まった。粗2ヶ月置きにホテルと前任者のアパートとか4回引越し後の1年経つかどうかの下宿生活だった。日本からの荷物は2箱分開けた程度。オーストリアの最東、ハンガリーのドイツ語圏は第一次大戦後帝国分断時にオーストリアに併合されブルゲンラント州となった。ハンブルクのブルクは砦を意味。シェルブールの(雨傘)、ブールも同じ。大小の砦が幾つかあったので砦の州と名が付いたと想定される。州都はEisenstadtアイゼンシュタット。南に30キロ行くとフランツ・リストの生家はRaidingライディングにある。出張した時にオーストリアの同僚がリストの生家の周りを見せてくれた。田舎の村、其れも納屋の趣きの家を丁寧に保管しており、唯一の「村興し」種なのだろうか、すぐ横に観光バスが4-5台は駐められそうな駐車スペースがあった。夕方、Teelichter (缶入ロウソク)で飾られた散歩スペースには透明アクリル板で作ってくれたピアノBoesendorferの(骸骨)が展示されていた。彼こそ、文明の利器 (蒸気機関車 で近代的ピアノ を演奏会を開きながら拡めたと触込み) Forchtenstein村は山の頂上が砦で、オスマントルコがハプスブルク朝のオーストリアハンガリー帝国首都ウィーンまで攻めて来た際にも落ちなかったと言われた。下宿から登って30分も掛からない距離。前にそびえ。下宿窓からは20度位の谷と成って、しりえに誘う。(箱根八里の歌詞を実感) 下宿の娘さんはショートヘアーのボーイッシュな子で、Heidiが名前だった。奥さんは若い頃陸上選手スプリンターだったとのこと。オーストリア運転免許証申請に市役所へ行くと州誕生60周年、1978年)のポスターが4年経ったのに未だ張ってあった。ドイツ潜水艦の映画Uボート、元題名はDas Bootをウィーンの封切り館で見た。DVDだったら早送りしたい長い尺の映画だった。因みにドイツフランクへ異動後の封切りを見たのはガンジー、其れも最前列で見た。首が曲がったままで肩がこった。ドイツ語圏では吹き替えが普通。場末の街、Wiener Neustadt ヴェアナー・ノイシュタットには2軒中華料理屋、その内1軒が駅近で映画館の中にあった。(土地っ子はウィーンをヴェアンの様に発音する。当時、僕も数字等土地っ子を真似ていた気がする。Mei Mutterl war a Weanerin. Darum hab'i Wean so gern.(war/hab の母音はオに近い、母さんはウィーンっ子。だから俺もウィーンが好きなんだ、此の歌を家で僕が歌うと必ず、うっそー!の大合唱)  駅前中華、麻婆豆腐はメニューには無いが聞いたら作ってくれた。フランス喜劇ルイ・ド・フュネ主演とかディズニーのVWハービー物をみた。テレビ受像機は持って居なかったので、フォルヒテンシュタイン砦近くの丘沿いの下宿の大家の家の広間で24インチ強のブラウン管テレビを一緒に見た。アメリカ番組DALLAS 、将軍、ドイツ語圏共同製作のMusikanten- stadl 音楽家の街、ヨーデルなど民謡を紹介する。日本人ヨーデル歌手タケオ・イシイが売り始めで。下宿のおばさんは大声で呼んでくれた。此の家にはその後10年置きに出張時に2回訪問している。当時のTV番組はオーストリアで2局、ドイツで3局で、時間も限られていた。ポップス音楽はドイツ語圏がメイン、彼らもアメリカ英国フランスイタリアのドイツ語カバーだったし、売り始めのABBAも自身の歌をドイツ語で歌っていた。ベルギーのアダモ、イタリアのジリオラ・チンクェッティ、ミルバ、フランスシャンソンはダリア・ラビ、ナナ・ムスクーリ。ドイツ語でないと売れ難い市場だった。ABBAは逆手に取って中南米向けスペイン語盤を82年迄に販売。日本でもLPが売れてた。中南米科の同僚が買ってたのでカセットテープにダビング、スペイン語歌詞ジャケットはコピーさせて貰った。彼らの場合レコード包むカバーにオリジナルアルバム英語歌詞を印刷して、1本化したようだ。日本でシャボン玉ホリデー、ヒッパレー(Hit Parade)で60年代日本語カバーだったのが、70年代オリジナル歌手を紹介する番組(MC和田アキ子・大石吾郎)が始まったり外タレ(外国人タレント)が日本市場狙って、日本語少々混ぜてLPを出してはメインのオリジナルも売りさばく手を打っていた。ダニエル・ビダル(Au Champs elysess) アダモ(雪は降る)然り。確なるウドも日本語で歌った物があるが、一寸幼稚なラブソングで聞くに耐えない) 後日ドイツ男声合唱団でコンサートした際、「ドイツ語の歌詞で!」と大っぴらに言われた。年配女性ではありましたが。自分としては各国語版が有って良いと思います。ビートルズが2曲ドイツ語特訓してレコード化してますが、音楽配信サービスの打ち例としてSpotify の無料版にビートルズカバー集としてポルトガル(ブラジル)語版My Life、ドイツ語版ならユーチューブで添付写真。他にpeer gyntさんが渋い、けったるい歌い方に耳栓すればあります。前者は30分置きにコマーシャル中断。後者は酷い時は毎回。前者おすすめ。自分でplaylist 作ったりできますし。昔は素直に曲順守ってくれたのに、無料版のせいかシャッフルしか手がない。ウドの別れの朝はフランス語版カバーが一番なかにし礼の雰囲気に似てる。ドイツ語オリジナルも発売当時はフラメンコ調のカスタネットが入った珍しい物であったが滅多聞かなくなった。因みに、自分としては演歌・ポップス・クラシックどれでも。本来、三橋美智也・小林旭的ストレート声質だが日本必須の小節が出来ず、片や77年頃の愛のメモリー(松崎しげる) 大都会(クリスタルキング)季節の中で(松山千春)の高音の張り方にはショックを受けた。