昨日の21時よりデュッセ西隣NEノイスHbfからMGメンヒェングラートバッハ間のSバーン快速が運行しない。NRW夏休み狙いうち(oo-lala-oo-lala)僕は普段通りに自転車移動を優先する家族をよそに、代替えバスの運行を信じてデュッセまで帰る事が出来た。


SEV代替えバスのルート確保してマッセ。此れが曲者。隣街まで一駅行かないとダメ。結局、2駅先のMG Hbf迄行って乗り換えx二本。MGバスターミナルはゲート綺麗に取り払われ、アナログ爺は纏められたBst. Bussteigを探して右往左往、前往後往(縦横無尽と言えば格好つくが、32度越えの中真向かいのHマーク、Haltestelleマーク上の乗場番号が読めず、結局道路またいでジグザグにさがす。)なぁんだ一番最新に見た所、同じ方面いつもサッカー試合があれば就くMGホームスタジアムしか書いてないから、ネットでみた途中が終点と言う表現に頭は凝り固まってるから「他にあたろ」であった。都営新宿線に乗って今日は市ヶ谷止まりと言われたようなイメージ。(何時もの「新宿」に騙されちゃいけない。) 忘れ物した際、最初に疑った所は2度見3度見する方だが今日は第2の敵、暑さ、が狂わせた(と日記には書いて置こう。)

順風満帆ルンルンバス停留所の名前に懐かしいKärntner Strasse(ウィーン・シュテファン寺院門前町?からオペラ座迄伸びる商店街)


ウドが住んでたKärnten ケルンテン州に肖った名前。ウドのウィーンWienと言う歌には一寸思い入れがある。歌の最後の方に此の道を上昇する飛行機の窓から眺めるシーンがある。Nur ein Lächeln と言うMCは多分最初にオーストリア田舎街で買った物で、その歌自体とWienは第2の故郷を音声としてオーバーラップする。Wr.Neustadtヴェアナー・ノイシュタットの当時大きめのスーパーで初めて塩ビSBパックされたMC・フィルムパックのLP を買った。ウドABBA。LPのフィルムパックは石丸電気輸入盤売り場で買った、ビートルズREVOLVER(パーロフォン)とかで見ていた。




さぁて、友人宅は徒歩3分と携帯ナビは言う。GPSが荒いのか、色んな方向動いてもグルリグルリ。やっぱ、別途近場のマップのスクショして東西位置関係を持ってきゃ良かったのに。ピエンマーク。クダンの自転車組はとうについてた。(もう、帰りが気になってしょうがない) ま、お呼ばれは最低2時間滞在、で其からは帰途を調べる。と、(本当に天気の)雲行きが怪しく、夕立を予見させる風。ジャジャ~ン。郊外な物だから時間1本のバスの停留所があれは此方、其れならアッチとヤマがかけられなかった。お暇挨拶はザアッと来る中、アッチ向いてホイの方へ向かい、MG HbfのRE4他のホーム情報を電光掲示板で確認。DOドルトムントHbf行きがDデュッセHbf 迄、途中KRクレーフェルトHbf 寄り、あぁ労働局Arbeitsamt(日本ならハローワーク)の担当が郡都VIEフィアゼンから移って粗2年の間月に一度の面会・自主的にやった職活の説明・宿題(担当からの職活アドバイス)をしていた日々を思い出す。、で、次はもうデュッセ。ヤッタゼ・ベイビー。と、又土砂降り。折畳傘でも暑アッツ~ッかったからサンダルな物で水溜まり避けながらトラムと言うか市電で帰り着いた。


本日大々的に着ていたTシャツ。背中はビショ。
「頭が高い。古くさいと言うな。レトロと言え。」
左カセットテープ前のオープンリールテープから関わって、
HDディスケット(真ん中)よりソノシートを封筒に包んだディスケット、、ソノシート?は薄いプラスチックのレコードで、子供向け付録にも見られた。孫達のオモチャにプラスチックの電話機が有るが、其れと現在の平たい携帯やヘッドフォン(ヘッドセット)を着け在宅オフィス電話している娘婿(彼等のパパ)をどう見ているのだろう。