目↓( 放送室 #001 - 始まり )




ダウンタウン(DOWNTOWN)

wikipedia 引用

浜田雅功と松本人志から成る日本のお笑いコンビ。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。
本業のかたわら、CM、ドラマ、映画、文筆、音楽等でも活動する。



目↓( 放送室 #007 - ウッチャンナンチャンについて )




【 ウッチャンナンチャンとの関係 】

同世代の吉本芸人(ハイヒール、ジミー大西など)以外の芸人との共演がほとんどないダウンタウンだが、
東京進出後に出演した『夢で逢えたら』で共演したウッチャンナンチャンとは非常に仲が良い。
1990年代前期まではダウンタウンとウッチャンナンチャンが一緒に仕事をしたり、
また互いの番組に出演したりということもあった。



レギュラー出演していた『笑っていいとも!』では出演する曜日こそ違っていたものの、
年末の特大号で共演するときは楽屋が一緒だったとのことである。

芸歴も年齢もダウンタウンの方が上であるにもかかわらず、
ウッチャンナンチャンがダウンタウンと話すときは基本的に敬語を使わず、
浜田・松本のことは「浜ちゃん」「松っちゃん」と呼んでいる。

また浜田・松本もウッチャンナンチャンの2人を呼び捨てにせず、
「ウッチャン」「ナンチャン」と呼んでいる。

また、南原の結婚式(1993年)に出席したり、
また南原に子供が生まれた際や内村の結婚に際し、
祝福のメールを送ったとされるなどプライベートでも交流がある。

松本は「ウッチャンとはたまーに、
一年に1回くらいどちらからとも無く連絡を取って一緒に食事をする」とテレビで語ったことがある。

一方でコンビ同士としての共演は、
1998年放送の『いろもん・豪華特別版』
(ゴールデンタイムのスペシャル版にダウンタウンがゲスト出演)を最後に10年以上実現していない。

ただし、個人それぞれの出演では実現している。

2003年に開催された第3回M1グランプリでは松本と南原がお笑い第三世代代表として、
決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、貴重なツーショットとなった。

その後2006年度第6回及び2010年度第10回M1グランプリ決勝戦でも、
南原と隣の席で審査員を務めた。

また、ミュージシャンとして、
内村はポケットビスケッツやNO PLAN、南原はブラックビスケッツの一員として
『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に度々出演している。

2009年1月3日放送の
『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』では、
内村と松本が「即興コンビ」を組み、『夢で逢えたら』以来のコントを披露し、
見事優勝にあたる「ベストカップル賞」を受賞した。

松本はウッチャンナンチャンの二人を
「戦友。二人が売れすぎるのは芸人として嫌やけど、売れてないのも嫌」と評している。

また、自身の著書で「ウンナンがおれへんかったら、
ダウンタウンは(売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。


目↓( 放送室 #008 - 松本人志の好感度UP作戦 )




【 エピソード 】

浜田は三重県にある全寮制の高校に入学したため、
松本とは以前のようにいつも一緒にいるような関係ではなくなったが、
厳しい環境であったため、浜田は山間にある寮から何度も脱走を繰り返し、
その手段として時には無賃乗車もした為、松本に電話をして電車賃を払ってもらっていた。

NSCでネタ見せの発表会を行うに当たり、
当時、人気絶頂であった紳助・竜介の漫才が吹き込まれているテープを、
全く同じ事が出来るようになるくらいまで繰り返し聴いた。

当時、NSCには一線で活躍している吉本興業の先輩芸人が講師として赴くことがあり、
島田紳助、明石家さんま、オール巨人も講師として赴いていた。

その三人がある時、たまたま集まった席で「NSCにめぼしいのはおるか?」という話になり、
「二人すごい奴がおる」「一組だけ(ダウンタウン)やな」と、
三人ともダウンタウン(松本・浜田)で意見は一致していた。



目↓( 放送室 #014 - お笑いパスポート(吉本成功の立役者は誰か) )




ダウンタウンがコンビ名を変えた大きな理由は、
1983年5月に吉本の大阪本社に約千人もの署名が送られてきた為。
その内容は、「もっと彼らをテレビや劇場の出番を増やしてほしい」と多く書かれていた。
その直後、コンビ名を「松本・浜田」から「ダウンタウン」と改名した。

付き合いが長いせいかプライベートで会うことは皆無だと言う。
そのため普段仕事以外で喋る状況が無く、
照れくささもあり楽屋などで二人きりになる事を極度に恐れ、
打ち合わせ等では担当マネージャーがトイレに行ってしまわない様に、
延々としゃべり続けてしまうという。

しかし両者がお互いを尊敬しており、相方として信頼しあっていると浜田は語っている。
松本も著書『遺書』で尊敬する(おっとこまえな)人の中に浜田の名前をあげている。

浜田が体調不良などで仕事を休んだ際、松本は強い口調ながらも浜田のことを人一倍心配する。
ある番組の収録で、
浜田が体調を崩し来られなかった日も、松本は一人そわそわと落ち着きのない態度を取り、
収録後みんなで集まっていた際も、一人部屋の隅で寂しそうにしていたこともあった
(ウンナン・南原やココリコ・田中の証言より)。

スナックでアルバイトをしていた頃、
スナックから自宅まで帰る電車賃がなくてミナミから尼崎まで、
途中、1本のコーヒー牛乳を分け合い飲みながら歩いて帰った事がある。

花月で漫才をしていた時、客席から「真面目にやれ!金返せ!」と罵声を浴びせられた浜田は、
「おう!返したらぁ!いくらじゃボケェ!」と、ポケットの中の小銭をその客に向かって投げつけた。

うめだ花月、なんば花月、京都花月の三館回りをしていた頃の二人の現場までの交通手段は、
浜田が初めてローンを組んで買ったマークIIであった。
また、そのマークIIを遅刻しそうになって走らせていた時、オービスに撮られ、
その後、何年も警察のハガキを無視していた為、
『4時ですよ~だ』終了後に逮捕される事になっていた。
逮捕予定当日、浜田がなんとなくふらりと警察へ行ったので、
未遂に終わったという。
ちなみにオービスには浜田、松本の胸から上がしっかり写っていた。



目↓( 放送室 #005 - 伊藤vs浜田 ダウンタウンの誕生のきっかけ )




若手時代、松本が浜田に3千円貸したエピソードがあり、
「3千円返してくれ!」と未だに言っている。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で何度もネタにするため、
番組内のコーナーできっちり3千円返すことになったが、松本が受け取りを拒否、
未だにネタにしている。

漫才ブームが終わった頃にデビューしたため、
劇場に出ても来ている客は団体客や年寄りばかりで笑いがとれなかったので、
若い客の前で自分達の実力を試すべく、
朝日放送で紳助・竜介が司会をしていた
「ヤングプラザ」という番組の前説への出演を自分達で頼みに行った。

大阪・2丁目時代、
あまりの人気ぶりに「ダウンタウンが道頓堀を歩くと自衛隊が出る」と言われていた。

『ダウンタウンのごっつええ感じ』の、
「青春プレイバック」と題した企画で尼崎の商店街を訪れた松本は、
「浜田に吉本入りを勧誘されてなかったら、自分は今と違って太ったオッサンになって、
嫁にコキ使われて生きていただろうな」と、しみじみと語った。

両者とも下戸である。
その為二人の酒に関するエピソードは少ない。
ただし二人とも全く飲めない訳ではなく、
レギュラー番組で酒を交わしながらトークする様子も見られる。
また、両者共に高所恐怖症であり、絶叫マシンが苦手である。
その為か、番組内で絶叫マシンに乗る事は少ない。

松本は浜田と出会う前に、
ゲイではないかと疑われるぐらいに仲の良い友人・伊東がおり、
漫才などをして青春を送っていた。

中学で浜田と出会い、三人で遊ぶ事も多くなったある日、
浜田と伊東が喧嘩を始め、伊東を倒した浜田が「もうええわ、まっつん行こうや!」と言い、
松本はついていったという。
これが無ければダウンタウンは誕生していなかった等とよく松本が話している。
その後、伊東とはよそよそしくなって、あまり遊ぶ事はなくなったという。
(伊東は、元相方としてTVに出演したり、ラジオの公開録音に出席したりしている)



目↓( 放送室 #012 - キャラに憑依できる芸人 )




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