さて・・・

8月5日の夕方、

ハルナツさんは

「夏の夜、祈りと平和の夕べ」という

七福神さんたちの神社、お寺を回って

お祈りしていました。

ガイドさんの集合時間に間に合わず、

一人ぼそぼそと広島東照宮へ。

筒の中には炎が・・・。この時間ではまだ見えない。

私の折った鶴もどこかに・・・

あるかもしれない。

ここからスタート。

スタンプラリー&がりがり君もまっている。

鶴羽根神社の手水舎には花。

 

 

風鈴もきれいで。

ここで、平和公園の平和の灯から採火された

この御方・・・鎮魂のろうそくを献灯します。

次に饒津神社。

明星院で引換券をもらって、

一度東照宮に戻り、

近くのお店でガリガリ君もらって

しばし休憩。

滅茶暑さ疲れ。

もう一度、饒津神社に戻ったのは、

舞を見るため。

ここからが、暗くなった神社、寺社周りのラストスパート。

帰りながら・・・

東照宮の階段にははっきり「祈」が浮かびあがって

いました。

何とも不思議な写真が撮影できてしまった

尾長天満宮。

この画像のどこかに寿老人さんがいる。

ここでは「世界平和」の文字を書かせてもらった。

國前寺。

 

さあ、最後に

 

聖光禅寺。

こんなに暗い時間にお参りなんてしたことがないので、

何か新鮮?で、不思議な感じで、

ふらふらになって何とか家にたどり着きました。

 

1945年8月5日の夜、

母の祖母が病気でなかったら、

疎開先に戻ることはなかったでしょう。

祖母も母もその後、入市被爆したものの、

命が助かったのは、奇跡・・・です。

 

本日、8月6日。

広島にとって・・・では、いけない、

日本にとって、大切な日としたいものだと

感じるのは、やはり、同じ日本人が、

原爆を揶揄するという

おぞましい現実があるからで・・・。

どこかのテレビ番組は風船爆弾ゲームをしていたとか。

広島は全局、平和式典だったそうだから

それは救いだったかな。

 

原爆ドーム前では、何しに広島に来ているのかと

思うような団体さんと警察等とのオールナイトが

繰り広げられたとも。

 

私は定期的にドームの慰霊碑に手を合わせに

行くけど、少なくても、私が行ったときに

黙礼する人に会うことも珍しい。

 

原爆の日に合わせて

わざわざ

警察相手に

相手は、こちらに触ることもできなかった、

勝った!!などとわけわからない戦いにくるのではなく、

 

静かに強い決意と共に祈りをささげに来てほしい。

少なくても、

「うっセ~~~~んだよ」と

魂に言われないように。

 

広島県知事も、

力で現状を変えることは許せないというなら、

ここに、それを公務にされた人間が居る、

広島県民が居ることを知ってほしい。

 

一人の命が救えないような、

違反をしてまでDVの被害者を助けないような、

仕舞には、被害者に出て行けというような

人道に反する行為をしている県で

何を言っているのかと思う。

責任をとってから、

暴力を非難してほしい。

あんたらもやっているのだから。

 

イスラエルを呼ぶなら、ロシアもベラルーシも

パレスチナも呼ばないとね。

平和宣言は確かに立派な宣言かもしれないけど、

だったらいいな~~~というように

現実は厳しさの上にさらに厳しい。

 

言い続ける

訴え続ける

 

それは私も同じ。

DVと戦争は

根底に同じものが流れている。

 

同じ目に遭わないとわからないんだね・・・

悲しいかな、人間とはそういうもので、

長い歴史、暴力だろうが何だろうが、勝ったものが

正義。そして、使わない、持っているだけ、などとは、

戯言。持っている兵器、武力は使いたくなる。

 

そんなにありがたい爆弾なら、

自分のところに使ってみろよ、

と、子供の時には思っていたものだ。

 

大人になって・・・

 

人生爆破テロに遭って、

 

もっと過激に複雑な感情になっている。

 

「来年、平和式典をやりたいなら・・・」と

急に言葉が降りてきている。

さあ、何が起きるかな。

 

とりあえず、原爆ドームの前は

ゲーム会場ではないし、

原爆慰霊碑は、

ピースサインしながらの撮影スタジオでもない。

 

摩訶不思議な国に生きる

摩訶不思議な国民ながら、

今一度、平和って何かを考えたい。

 

ちなみにスタンプラリーは

こんな感じです。