年末に書く予定だったけど、

起きてしまったな・・・と。

私は意地悪で言っているのではなく、

冷静にみている。

 

母が入院している間に、

早く早くと

部屋の片づけを促され・・・

 

捨ててはいけないものまで

捨てることになった。

 

私はDVと府中町犯罪で追い出され、

広島市が支援をしなかったために、

自分でどうにかしないといけなかった。

被害者が、害を被ったら、

自分でどうにかするのだ、この国は。

 

殺された父が残したのはほとんど端切れ。

私は府中町犯罪のせいで

生徒がいなくなり、一から始めなければ

ならなくなったので、

教室もあてにならず、

生徒募集のための作品展も

作品の表装ができないために

まともに開催もできなくなっている。

 

私がつぶれたらうれしい同僚の講師は、

頑張っていらっしゃいますね、と

皮肉たっぷり。

 

そもそもこの国は

人を陥れて偉い気になっている

輩が多すぎる。

 

母が自宅介護になったときのために

12月25日、介護福祉士と介護ベッドの

人間が下見に来た。

しかし、その態度に驚いた。

介護福祉士は後ろを向き、肩越しに私と

話し、自分はベッドの人間の方を向いている。

 

人の家にどかどか上がりこめる優遇人間きどりか、

こちらを見下しているのか、

まさしく、人の家の財産を自分たちの物にしようとした

あのケアマネ、包括一味の態度と同じだった。

 

肩越しに、馬鹿にしたような、

いうことを聞かない腹が立つ女を見下すような

あの眼差しと態度。

実家の二階に上がって、何か言ってやることはないか、

父が虐待されていると家族を犯罪者にして

財産管理という名の

うまい汁吸い大会にもっていくために

犯罪づくりの理由づけを探す気味の悪い

人間。その行動。

 

私は次々、あの時のことがよみがえった。

 

私が追い出された後、私を助けたのは

「物」だった。

物を作ることで私は心身ともに助かった。

行政は鐚一文たりとも助けなかった。

介護福祉士の「これ、必要なものですか」に

ブチ切れた。

誰のものに対して言ってるんだ!!!

第一、ここに私が追い出されているのは

介護福祉のせいだ。

 

続いて、勝手にカーテンをめくって、

扉を開けて・・・

私にとってはあのコソ泥、

火事場泥棒包括の女らと全く同じ

犯罪者だ。

 

私はその前に何十袋も捨てさせられてる。

それは、私が生きるために実家から

死に物狂いで持ち出したものだ。

 

怒りはそれだけではなかった。

 

病院のソーシャルワーカーが言ったこと・・・

「本来、生活保護申請するのに、

どうしてお金が無くなったか

聞いてはいけないことになっているのですよ」とのこと。

 

広島市の生活課は

「暴力のもとに帰ったらよいのですよね」の

信じられない言動の他

「詳しいことをお聞きしたいので

お母様に来てもらってください」とのこと。

 

ソーシャルワーカーは

「これは私たちも広島市に訴えていかないと

いけないことなのですけどね」

 

はっきりとした

「違反」なのだそうだ。

 

それで、知人が

「親を連れてこいと言った????

聞いたことがない!」と言ったのだ・・・と。

 

違反をしてまで

人を殺したい、

 

「助けるからいけないのよ」・・・

今、まさに、

その言葉、

能登の被災者に言ってもらいたい。

 

あの時と似ている、と昨年、周囲に言っていた。

東日本大震災の前にね・・・

 

そして自分が違反されてまで

命をないがしろにされたことで、

こう叫んだ。

 

年末年始、無事に過ごせると思うな!!

 

激震を走らせてやる、と。

 

人の傷みがわからないのだろう・・・

私が12月27日の寒空に、

夜中にたたき出されたとて

誰も助けはしなかった・・・。