12月12日は
私にとって1年間で1番大切な日になりました
生まれてきてくれてありがとう
元気に育ってくれてありがとう
大変なこともあったし
泣いた日々もあったけど
今はすごく幸せです
1年前、娘が誕生した時は
こんな気持ちで今日を迎えられるとは思っていませんでした
私の娘は産声をあげることはありませんでした
産院で蘇生を受けてすぐにNICUのある病院に搬送されました
当時のブログでは触れていなかったのですが、搬送後に重症新生児仮死と診断され、低体温療法を受けることになりました
そのことを旦那さんから聞き
それほど深刻なのかと、愕然としました
障害は残るのだろうか
どれくらい残るのだろうか
産後3日目に初めて搬送先の病院を訪れて、医療的ケア児ともたくさんすれ違い、子供を持つということはこれほどまで覚悟のいることなのかと早速突きつけられたような気がします
(でも実際はみんな最初からこうなるとは考えてないですよね…多くは少しずつ受け入れて、たまに後退してまた進んでの繰り返しだと思います)
低体温療法中は搾乳以外自分には何もできることがなく、産院の自室で何か調べては不安になったり希望を持ったり…
数日後、低体温療法が終わったのでMRIと脳波の精密検査を受け、その結果を聞く日がきました
この日はとても寒い日でした
面談の後、緊張のせいか寒さのせいか分からないけれど、震えながら旦那さんと2人駐車場まで戻ったのを覚えています
他のご家族が見えなくなったところで、旦那さんが「本当に良かった…」と震える声で言ったのが忘れられません
「今のところ、気になる所見は見当たりません」
そう言われても、入院中は電話の着信が怖かったし、退院後も救急車の音を聞くと、生まれたばかりの小さい娘が1人で運ばれてる様子が脳裏によぎって胸がギュッとなりました
2週間の入院で退院できましたが、今もフォローアップ健診で3ヶ月に1回、新生児科の受診は続いています
なのでまだ終わった話ではないのですが、1年経ってようやく当時はこんな感じでしたという話を書いてみたくなりました
(とはいえ体重の増えが悪くなったり寝返りがかなり遅かったり、何かあるんじゃないかと不安で人の子の成長を見るのがツライ時もあり、精神面でもすんなりではありませんでしたが…)
今では宇宙語をたくさん喋り、ほんのちょっと歩き、離乳食はぼちぼち(今朝はほんとに食べなかった!笑)のパイ星人に育ちました
成長するにつれて、子に対する親の願いはどんどん過剰になっていってしまいますが、たまにはこの時のことを思い出して「元気であればそれでいい」と思えたらいいな
大切な娘へ
生まれてきてくれてありがとう
お誕生日おめでとう
たくさん頑張ってくれてありがとう