私は小松左京の「日本沈没」という小説が大好きです。
 2回映画化されたので、ほとんどの方は御存知だと思います。
 個人的には1回目の映画の方が好きです。

 その小説の中から特に感動的なセリフを抜粋します。

「わかってもらえるはずだ、と思ったんです……」田所博士は、涙だらけの顔を灰色の空に向けた。「日本人は……ただこの島にどこかから移り住んだ、というだけではありません。あとからやって来たものも、やがて同じことになりますが……日本人は、人間だけが日本人というわけではありません。日本人というものは……この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村や、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と、富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が……島が……破壊され、消え失せてしまえば……もう、日本人というものはなくなるのです……」

「私は……それほど偏狭な人間じゃない、と自負しています……」田所博士は続けた。「世界じゅうで、まわってこなかった所は南極の奥地だけです。若いころから、いたるところの山や、大陸や、土地や、自然を見てまわりました。地上で見る所がなくなってからは、海底を見てまわりました。──もちろん、国や、生活も見ましたが……それは、特定の自然に取りまかれ、特定の地塊に載っているものとして見たんです。私は──なんというか──地球というこの星が、好きでしたからね。そうやって、あちこち見てまわったうえで、私は日本列島と恋に陥ったのです。そりゃ、自分が生まれた土地というひいき目はありましょう。しかし──気候的にも地形的にも、こんなに豊かな変化に富み、こんなデリケートな自然をはぐくみ、その中に生きる人間が、こんなにラッキーな歴史を経てきた島、というのは、世界じゅうさがしても、ほかになかった。……日本という島に惚れることは、私にとっては、もっとも日本らしい日本女性に惚れることと同じだったんです……。だから……私が生涯かけて惚れぬいた女が、死んでしまったら、私にはもう……あまり生きがいはありませんし……この年になって、後妻をもらったり、浮気をする気はありませんし……何よりも……この島が死ぬとき、私が傍でみとってやらなければ……最後の最後まで、傍についていてやらなければ、いったい、誰がみとってやるのです?……私ほど一途に……この島に惚れぬいたものはいないはずだ。この島が滅びるときに、この私がいてやらなければ……ほかに誰が……」
 あとの言葉はむせび泣きにおぼれた。

「日本人は……若い国民じゃな……」そういって老人はちょっと息をついた。「あんたは自分が子供っぽいといったが……日本人全体がな……これまで、幸せな幼児《ヽヽ》だったのじゃな。二千年もの間、この暖かく、やさしい、四つの島の懐《ふところ》に抱かれて……外へ出ていって、手痛い目にあうと、またこの四つの島に逃げこんで……子供が、外で喧嘩に負けて、母親の懐に鼻を突っこむのと同じことじゃ……。それで……母親に惚れるように、この島に惚れる、あんたのような人も出る……。だがな……おふくろというものは、死ぬこともあるのじゃよ……」

 田所博士は、じっとうなだれて、老人の言葉を聞いていた。──師の言葉を聞く弟子のように……。
「日本人はな……これから苦労するよ……。この四つの島があるかぎり……帰る〝家〟があり、ふるさとがあり、次から次へと弟妹を生み、自分と同じようにいつくしみ、あやし、育ててくれている、おふくろ《ヽヽヽヽ》がいたのじゃからな。……だが、世界の中には、こんな幸福な、温かい家を持ちつづけた国民は、そう多くない。何千年の歴史を通じて、流亡を続け、辛酸《しんさん》をなめ、故郷故地なし《ヽヽ》で、生きていかねばならなかった民族も山ほどおるのじゃ……。あんたは……しかたがない。おふくろに惚れたのじゃからな……。だが……生きて逃れたたくさんの日本民族はな……これからが試練じゃ……家は沈み、橋は焼かれたのじゃ……。外の世界の荒波を、もう帰る島もなしに、渡っていかねばならん……。いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとな《ヽヽヽ》にならなければならないチャンスかもしれん……。これからはな……帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧《もうまい》で何もわからん民族と立ちあって……外の世界に呑みこまれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。……それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の〝おとな民族〟に大きく育っていけるか……日本民族の血と、言葉や風俗や習慣はのこっており、また、どこかに小さな〝国〟ぐらいつくるじゃろうが……辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の〝冷たさ〟に対する愚痴《ぐち》や呪誼《じゅそ》ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。そう思ったら、田所さん、惚れた女の最期《さいご》をみとるのもええが……焼ける家から逃れていった弟妹たちの将来をも、祝福してやんなされ。あの連中は、誰一人として、そんなことは知るまい。また将来へかけて気づきもしまいが、田所さん、あんたは、あの連中の何千万人かを救ったのじゃ。……わしが……それを認める……わしが知っとる……それで……ええじゃろ……」
「ええ……」田所博士はうなずいた。「わかります……」

 これらのセリフ一つ一つに、小松左京の日本に対する愛情が込められていると思います。