私は統合失調症と広汎性発達障害で

2ヶ月半だけ閉鎖病棟にて入院生活をした。


何度もお伝えしてますが

その時は病識もなく

何かがおかしい状態で

大きな大学病院に1年半通って

膠原病じゃないかと思い

通院生活を送っていた。

しかし違った。。。


過去にも書いたブログですが

警察に自分で駆け込み

保健所から精神科へ。。。


閉鎖病棟での生活は

監視カメラはもちろんのこと

便座の蓋もなく

用を済ませても

手の洗う場所すらない

いわゆる刑務所より酷い部屋だった。


何気にカミングアウトしますが

私は風俗店経営で

18歳未満の子を雇用して

まさかの実刑判決で

1年半の判決での社会から

1年半離れて暮らした事がある。

普通ならば仮釈放がつくのですが

私の場合被害金額が多く

社会に与える影響が大きいとの判断で

仮釈放なしの実刑。

今から20年くらい前の出来事です。

もうこの際

カミングアウトしたので

この中での生活のことも

いつか書こうと思ってます。

(知りたくない人もいるか 笑)


閉鎖病棟では便座の蓋もない生活で

私としては

訳のわからないまま(急性期のため)

刑務所より酷い場所に閉じ込められた

違法な行為という認識が強かった。

弁護士呼べって言っても

呼ぶまでに1ヶ月はかかる。

留置所ならば即日に弁護士が付けてる状態なのに

「ここはなんなの?!」

って感じでした。

私はそんな過去があったので

閉鎖病棟は刑務所より過酷なイメージしかなかった。


許される水分制限があるかのように

小さな紙コップ2杯分しか渡されないで

ハンカチすら入らない

紙コップに日付を書かれて

それを眺めるだけの生活が

1ヶ月続いた。

死なないように

食べて薬を飲まされて

寝るだけの生活。。。

部屋の中は布団のみ

紙コップを見つめる生活。

しかし私はその日にちすらわからない日々を

送っていたのは間違いない。

おまけに訳の分からない

お祓いや幻聴 幻覚に忙しい毎日だった。


私が急性期で色んな体験をした中で

満月の夜に何かが起こると

思い込んでいて

彼が私を閉鎖病棟から

旦那さんが(当時彼氏)救い出してくれると

信じていた。

そう。。。かぐや姫のようになっていたのです 笑

(ちょっとストーリーとしては逆バージョンですw)


図書の許可が出たのは入院から

2週間経っての事だった。

でも文字を読んでいても

文字がアリンコのように這ってウヨウヨしていて

読めたものじゃなかったのを

今も覚えている。

というより

(入院生活の事をほぼ思い出せている

現在の私です。)

自分でこのまま一生こんな場所に

置いておかれて廃人にさせられる

そんなのは嫌だって強く思ったから

必死で過去のことを思い出して

現在がある。

この時陰性症状もありました。

「このまま一生を終わって良いや」って

投げやりの時期ももちろんありました。


陰性が勝つか陽性が勝つか


それって大事なことかもしれない。


でも私は思う。


閉鎖病棟には保護室には

凄い深い意味があってのルール


辛い思いが今は

感謝しかない。。。


あの時

閉鎖病棟の保護室にいなければ

私の復活はない⭐️


病院内での生活

少しでもどんな暮らしやどんな感覚で

我が家族は暮らしてるのか

知って貰いたくて

私は今

苦しんでる家族のために

このブログ書いてます。


もちろん

統合失調症で今も苦しんでる人

苦しくなったらごめんなさい。


しかしおかしくなった時を自覚して

現実と非現実的を判断して私達は

生活をしなくてはいけないと思う。


これは重たい話ですが

それくらい社会に及ぼす影響が

危険でもあると自覚してるからでもあります。


色々な事件が多くある中

私達精神疾患者は深い自覚と

治療に専念して少しでも

精神疾患者と社会とに溝も埋められるように

していく努力も私達には必要なのかもしれないです。


気分を害してしまった方がいたら

私の伝えかたに問題があると思います。


ではまたこの件については

後に書きたいと思います。



私のカミングアウトもお許し下さい🙇🏻

これでコメントと良いねが激減するな 笑



良いね コメント

本当に

🍀🍀🍀🍀感謝と1日の活力です🍀🍀🍀🍀


ありがとうございます♡


朝ごはんにシチューを作る時間なので

続編はまたの機会に書きたいと思います。


今日もみなさんにとって

      素敵な日を🍀