8月末に絵本「いじめているきみへ」を出版し
「いじめ」をテーマに取材を受け、
様々なことを語ってきました

たくさんの記事


を読んでくださって
ありがとうございます!!

本業の舞台やお仕事を挟むので
少し間は途切れますが
「いじめているきみへプロジェクト」は、
これからも続いてゆきます。
引き続き、よろしくお願い致しますー!!☺️

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うちのフナの小さいころの写真が
絵本「いじめているきみへ」の中で
みきぐちさんが描いてくださった子猫に
ちょっぴり似てるー☺️✨
ぜひ本屋さんで見かけたらめくってみてください!!!


⭐⭐⭐

さて。

いま、ひょんなことから
ぼくの関心は「学校内のいじめ」に加え
家庭内いじめ「児童虐待」にも向いています。

定番の声かけである
(ぼくはあまり好きな言い回しではないけど)
「学校に行かなくてもいいよ」や
「逃げていいよ」で、救われる子供たちはいる。

でも

学校ですら、どこに逃げればいいの?
って状態なのに
家庭内で虐待されている子供たちは
更にどこにも行けない
親に親権がある限り、子供は家に戻される・・・

家の中には、いじめの傍観者の目すらありません
密室で子供が受ける虐待は、
いじめ界の最たる地獄です。


どこまで逃げても保護されても、
親は何度でも子供の前にあらわれます。
下手すると、成人して逃げ出しても
なおつきまとい、永遠に子供の前に
立ちはだかる。

児童虐待は数あるいじめの中で
「絶対的強者と絶対的弱者」の関係性を
加害者が分かっているという部分で、
最も卑劣な犯罪だとぼくは思います。
特に子供がまだ幼く自力で生活出来ない場合
親に「生殺与奪権」すら握られているのだから。

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-自分の家しか世界を知らず
親の采配によって生かされている-

子供にとって、親は世界の全てです。

親はほんの少し姿を隠すだけで、
ほんの少し冷たくするだけで、
簡単に、子供の心を
壊すことが出来る存在です。

その一挙手一投足に全てを委ね生きている子を
感情の赴くまま、更に威嚇し
権力の拳をふるう恐ろしさたるや。

⭐⭐⭐

いじめについて、ぼくはずっと
「加害者の気持ち」を追ってきました。

加害者たちには様々な事情がありました。
思わず共感し「自分がもし同じ立場だったら、ぼくもいじめに加担してしまうかも知れない」と思う感情もありました。

特に「自分は勝ち組で、強者である」というプライドで
心に精一杯の武装をしている子供などは
ある意味いじめのターゲットにされている被害者よりも、脆く弱い部分がありました。

そして悲しいかな、「いじめ加害者」の中には
かなりの割合で「いじめ被害者だった人」がいました。

これは、親子間の虐待の連鎖とも
通じるものがあります。
でも、自分がされて辛かったことを、
なぜ他人にしようと思うのでしょうか?

理由は様々。

①またいじめのターゲットにされるのが怖いから
②過去の惨めな記憶を振り払いたいから
あなただけ愛されているのはずるい、妬ましいという感情が抑えられないから

etc・・・

このうち、③を心理学では
白雪姫コンプレックス  と言います。
児童虐待の現場において、
特にあらわれる感情です。

⭐⭐⭐

ここで、前のブログにいただいたコメントへの
お返事をします。

ポン、とコメント欄に置いたままでは
とても危険な文章だと感じたので、
ぼくの方できちんとお返事と共に掲載したくて
いったん非公開にさせていただきました。
お名前を伏せて、こちらで改めて掲載させていただきますね。

この方は児童虐待の被害者であり、
そして、児童虐待の加害者でもあった方です。

【投稿者さんの訴え】

「殴られて育ち、子供を殴る自分が止められない」
「親の行動(殴ること)で、子供の幸せが決まるわけじゃない」
「子供を見くびるな」
「親に殴られて育った人はみんな幸せになれないですか?」
「人を勝手に被害者に仕立て上げないで」
「子供の力を信じてください」
「叩いても大丈夫です」
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こうやってセリフを抜き出すと、何かが見えてきませんか?

もう一度良く見てください。

「殴られて育ち、子供を殴る自分が止められない」
「親の行動(殴ること)で、子供の幸せが決まるわけじゃない」
「子供を見くびるな」
「親に殴られて育った人はみんな幸せになれないですか?」
「人を勝手に被害者に仕立て上げないで」
「子供の力を信じてください」
「叩いても大丈夫です」


この方はぼくに向かって話しているのではなく
自分の親、そして社会に向かって叫んでいるのです。

「私は殴られて育った可哀想な被害者じゃない。叩かれたけど大丈夫です。私は幸せになれる。」

と。

でも、それだけ強く願っても

「殴られて育てられたら、子供は不幸になる」
「殴られて育てられた子供は、可哀想」

皮肉なことに
虐待に反対する世間の人たちの声が、
子供を虐待から守ろうとする人たちの声が、

「お前は殴られて育てられたから
幸せになれない 可哀想な子供なんだ」   

後ろから追いかけてくるのですね。
大人になっても。

だから、子供を殴ってはいけないよ!!
暴力をふるっちゃダメだよ!!と言う善意の声が、
この人にとっては全て
逃れられない呪いの言葉に聞こえるのです。

⭐⭐⭐

そこへ、あるカウンセラーさんが
自分の子供を殴ってもいいよ
という言葉を与え、
この人は精神的に救われたそうですが-

あのね、それはね、
自分が殴って育てた子供を幸せにすれば
「殴られた子供でも幸せになれる」
と言うことが証明されるよ!!
そうすれば心の中で泣いている
幼いあなたも救われるよ!!
傷つけてもいい。叩いてもいい。殴ってもいい。
謝って抱きしめて、ちゃんと育てよう。
自分の人生を、もう一度やり直してみよう!!

子供の人生を身代わりにした「育て直し」なんですよ。

でも

子供時代に受けた傷を癒すために
子供を犠牲にしてはいけないとぼくは思います。

自分の傷は、大人の世界で癒しましょう。


⭐⭐⭐

残念ながら、虐待を受けた子供は無傷ではありません。
このページに挙げられているような、激しい後遺症に悩まされます。


「子供を叩いていいよ」は、甘い魔法の言葉ですよね。
確かに、内面の欲望を解放し
他人からヨシヨシと認めてもらうことで
お母さんは精神的に救われて、ラクになるとは思います。


でもね、


それはお母さんの中で泣いている
「なぜ私はこの子のように愛されなかったの?」
という白雪姫コンプレックスを受け止めて
解放してあげただけに過ぎません。


それは、銃を向ける先が違うでしょうよ。


そこは、

「あなたは悪くないよ」
「幸せになれるよ」
「大丈夫だよ」
「親を殴ってきてもいいよ」

じゃ、ダメだったのでしょうか?


厳しいことを言うようで申し訳ないのですが、
心の中で「子供を叩いていい」と思いながら
開き直って子育てをすることも
ぼくは子供に対する虐待だと思っています。


もうあなたは
何も出来なかった小さな子供じゃない。
幼いあなたが殴られていたぶん
気の済むまで殴り返して、
親や、助けてくれなかった人々に
気の済むまでぶちまける事は出来ませんか。
それで親や過去とは金輪際
さようならする勇気を持つことは出来ませんか。

良く考えてみて

もう子供のころのあなたではないのです。
拳でかなわなかった相手にも
今なら銃だって向けることが出来るのに
弱いものに拳を振り上げる必要は無いでしょう?

ぼくは子供の立場で話しているので
お母さん側には寄り添えなくてごめんなさい。
でも、子供にしたら加害者の事情は関係ない。
幼いあなたがそうであったように、
「叩いてもいい」なんて思われることなく
無条件にただ、愛されていたいはずなのです。


強くなってください。お母さん。


⭐⭐⭐


この方が自分で書いていたように
理不尽な暴力を受けた人が、
自分の中から暴力をゼロにすることは出来ません。


ですが、弱いものが更に弱いものを叩くのも
弱いものいじめです。


あなたはもう立派な大人になりました。
自分の力で、ここまで幸せになれました。
虐待に勝つ事ができているんです。

それでも、心の中の子供が疼くなら
あなたにその重しを与えた親に
押しつけられた荷物を返して来て欲しい。


⭐⭐⭐


学校でいじめられた子供たちも、
自分をいじめた子に復讐するのではなく
また、自分より更に弱いものを見つけていじめてしまうんですよね。

それは自分をいじめた人たちには
植え付けられたトラウマもあるし
刃向かう力が無いこともそうですが、

弱いものを見ると、白雪姫コンプレックスで
「あいつは自分と似たようなタイプなのに、
なぜいじめられていないんだ。」
「うらやましい」
「いじめられていないのはずるい。」
「悔しい」という気持ちが
心のどこかに湧いてしまうことも多いのです。

そして、そこでいじめられた人は、
「なぜ自分だけがこんなにつらい目にあわされるのか」と、
また更に弱いものを探してしまうわけですが😢

理由なく突発的にいじめが起きるのはまれで
たいていは誰もが加害者で、誰もが被害者。

会社でパワハラされた夫が▶︎妻を殴り▶︎
DVを受けた妻が子供を殴り▶︎

虐待された子供は幾つかのコースに分かれ

①学校で誰かをいじめ
いじめられた子供も
また更に他の子をいじめる
いじめエンドレスコース

②いじめもせず良い子に育ち
家庭内スケープゴートの役割を担うが、
自分が親になった時に子供を虐待し
その子供がまた・・・の
虐待エンドレスコース

③いじめもせず良い子のままで
どこにも誰にも吐き出せず
1人で抱えこんで命を絶つ

みたいなことが、今もあちこちで起きている訳ですが。

みんな辛いし、誰も救われないし、どれもイヤ!!
でも、誰かがどこかで変えることは出来るのです。
いじめの矢印を「社会的に正しい方法で」戻すだけ。

私はこういう理由で傷つきました。
警察や教育委員会や児童相談所に行きます。
それでもダメなら訴えます。

とても傷ついている人に
もっと頑張れ強くなれ、というのは
残酷だし言いたくないけれど
ぼろぼろでも、傷ついても
自分より「もっと弱いもの」を守るためには
強いものに牙をむき
震えながらたたかわねばならない時も
きっと人にはあるのだと思う。

永遠にいじめが終わらない
いじめエンドレスな世界を変えるのは

あなたの勇気ひとつ

なのですから。


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⭐ふうか⭐