ぼくがむかしから
「赤ちゃんはママをえらんで
うまれてくる系の絵本」が苦手なのは
たぶん、この絵本を
先に読んでいたからかも知れません
内田麟太郎・文
味戸ケイコ・絵
『うまれてきたんだよ』
うわあああ😱😱😱
紹介しようとしたら、もう絶版なのか
新品・定価で買えるところが見つからない😢
図書館にはあるはずなので見て・・・
現物を読んで欲しかったああああ💦
※文章だけはネットで読めました
※「うまれてきたんだよ 全文」で検索してみてね
『ぼく うまれたんだって。
さんねんでしんだんだって。
いつもなぐられていたんだって。
おなかをすかし、とじこめられて いたんだって。
ひもじくて かみを たべていたんだって。
しゃべらなかったんだって。
ゆめに おこされ ふるえていたんだって。
けものの こえで ほえていたんだって。』
いつもなぐられていたんだって。
おなかをすかし、とじこめられて いたんだって。
ひもじくて かみを たべていたんだって。
しゃべらなかったんだって。
ゆめに おこされ ふるえていたんだって。
けものの こえで ほえていたんだって。』
同じイラストレーターさんの「わたしのいもうと」は今も本屋さんに並んでるけど、これも流通して欲しい・・・‼️😖
「うまれてきたんだよ」が見事なのは、この子は、この子に起こった出来事を淡々と正直に話しているだけなこと。分かることは分かる、分からないことは分からない。その「分かっていること」と「分からないこと」を知って、読者の心は重くなる。
可哀想でしょ?ねえ可哀想でしょ?ではなく
極限まで抑えた表現、そして、最後の一行😢
ここはいろんな読み方ができるところですが、
ぼくはこう解釈しています。
「どんな子どもにも、等しく風は吹く。
たとえ誰もあなたを待っていなくても
世界はあなたを待っている。」
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この絵本の中のこの子に
あなたがそのママをえらんで
うまれてきた、じゃなく
「あなたのせいじゃないよ」
「あなたは何も悪くないんだよ」と
言ってあげられる
そんな絵本があったらいいな。
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Amazonで「うまれてきたんだよ」を検索すると
そのすぐ下に「パパとママをえらんで、ぼくはうまれてきたんだよ」が出てきます(´•̥_•̥`)
何とも言えない気持ちになります
立場が違うだけで
どちらが良いとか悪いとかじゃ
ないけれど、
それでもやっぱり、つらすぎる。
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子どもが親を選んでうまれてきたなんて誰が言い出したんだろう。子どもが望む望まざるに関わらずその命をここに呼び出したのは紛れもなく、その親自身なのにな。
たとえ
望んでうんだ子でなくても、世話が面倒でも、お金がなくても、
可愛げがなくても、憎らしくても、相性があわなくても、誰にも似ていなくても、
何の才能も無くても、不器量でも、身体が不自由でも、
親の顔色をみて無邪気にふるまったり
親を喜ばせるようなことが1つも言えなくても、
子どもは愛されて生きる権利があると思う
どんな子だろうが関係ない。その子は勝手にうみだされ、あなたたちしか頼るものがない。
子どもは勝手にこの世に召喚された、親とは別の個人だと思います。保護者の立場にいる大人はその人格や人生をコントロールしたり支配することなく1人の人間として尊重し、その名の通り成人するまで保護して欲しい。
子どもは親を喜ばせたり気持ちよくさせるためにうまれてくるおもちゃやアクセサリーや奴隷ではないのだから。
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こちらの記事にも
とても大切なことが書いてあったので
貼っておきますね。
『帯には「ママを喜ばせるために産まれました。」というメッセージが躍っている。絵本というからには親が子に読み聞かせるのが一般的だが、私は、とてもじゃないが自分の子には読み聞かせられないと思った。』
『子供の誕生を、多くの親は喜ぶだろう。私もそうだった。が、それは親が、自分のエゴで勝手に喜んでいるだけだ。誕生する子供自身には、親を喜ばせる義務や責任など一切ない。子供が成長していく過程で、親は折に触れて喜ぶかもしれないが、その時も、子供が親を喜ばせる必要なんてない。子供は、親を喜ばせなくていいし、産んでくれたことに対して「ありがとう」と感謝の気持ちを持たなくてもよいと私は思っている。子供が親を喜ばせることや、親に感謝することそのものを否定する気はないし、したい子はすればいいのだ。が、親を喜ばせるとか感謝するといった行為を、親である側が賛美し、"幸せ"の符号を付けるのには、賛同できかねる。』
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これらの絵本は「大人から子どもに送る、子どもの健やかな成長のための絵本」ではなく、
「子ども(著者本人)がママに愛されたいと叫んでいる絵本」じゃないかな?と、ぼくは感じます。
ある著者の読み聞かせを最初に見たときは、子供のように泣きじゃくるおじさんを囲んでママたちが泣いているのにギョっとしたのですが(ごめんなさい🙏)
良く見ると日常の家事や育児に追われる中で子どもの気持ちを汲み取れないと感じていたお母さんたちが、著者を通して子どもの気持ちを受け取り、そして涙する「お互いを癒すために必要な感情開放」なんだな、と分かります。
絵本の中には、大好きなママに
「えらいね」「頑張ったね」「ありがとう」って
褒めて欲しくて泣いていた
1人の子ども(著者自身)の姿がハッキリと見えます。
だからこれらの絵本は親たち、特に母親の胸を打つのでしょう。
その叫びを通して、母親が自分の子どもを抱きしめたいと思う気持ちは大切にして欲しいし、そんな絵本があってもいいと、ぼくは思います。
⚠️でも、著者の承認欲求や、理想の親子像への誘導が強すぎるこれらは、そのまま子どもに与えるのにはとても注意を要する種類の本です。
⚠️それは絵本を読んだ子どもたちが良かれと思って、「親に愛されるための行動」を、無意識にとるようになる危険性があるから。母親の顔色をみて、母親の空気を読み、母親を喜ばせたい一心で、いろんな局面で母親に気に入られることだけを選択するようになる。無意識のうちに、いわゆる「親の期待を察する子ども」「育てやすい子ども」になる可能性が大きいからです。
子どもは親の保護者ではないので、必要以上に親に気を配ったり、やたら物分りが良くなる必要はありません。どちらかと言うと外では子どももそれなりに気を張り詰めているので、親の前だけは無理をせず、ワガママでいても良いんじゃないかな。
もちろん躾は大事だけれども、親や大人を喜ばせたいからお利口にするのではなく、「みんなのために、公共のマナーとして」いろいろなことを自分で学んで、自分で理解して、自分の判断で守れることの方がよっぽど意味がある😉
親にとって素直で従順で育てやすい子どもになること、親の気持ちを良く理解する優しい子どもになること。それは子どもの成長に取って、決して良いことではないです。
( 良い子の仮面を、もし家でも親の前でも外せなくなったら子どもは潰れてしまうんじゃないかしら。子役が仕事をしながら精神も病まず元気でピンピンしているのは、家や親の前では、ちゃんと自由に言いたい事を言う暴君で居られるからだし)
幼い子どもに必要な栄養は、ママが死んだらどうする?という脅迫でもなく、ママの子どもで良かったよね?という強制でもなく、ママを喜ばせるために行動してね?という重圧でもなく、
どんな自分でも生きていていいんだ
世の中には安心できる自分の居場所があるんだ
自分のための人生を生きていいんだ
素直に感じたことを口にしてもいいんだ
そんな、絶対的安心感と
自己肯定感ではないかなと思うのです。
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※注⚠️こうしてたびたび「親を選んでうまれた系の絵本」を児童書として読み聞かせる危険性を注意していると、良くただの作者アンチと間違われるwので、ネットニュースに切り取られないように再度書いておきます。ぼくは親が読むのであれば、とても良い作品だと思っています。「ママが死んだらどうする?」などの絵本も、子どもに言えば脅迫でも、親が「私が死んだらこの子はどうする?」と、自分自身に問いかけながら自分が亡くなった後にも、子がしっかり生きて行けるような子育てをするのは、とても重要で必要な備えです。ママだけじゃなくパパも考えて欲しいけど。
ひとつだけ問題点をあげるなら、それを読んだお母さんたちが何の疑いもなく児童書として、幼い子どもたちに読み聞かせてしまっていること。それだけ。
個人的には、そういう絵本はPG12くらいにしても良いような気はしますね。(PGは規制ではなく、良く話し合って見せるということです)
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これは「本」と「子ども」が好きなぼくの個人的な意見ですが、子ども向けの絵柄や簡単な文章だからといって、すべてが児童書ではないし
絵本だから児童向けだとか、ラノベだから若者向けとか、小説だから大人向けとか、エロ絵があるから成人向けとか、そういう事じゃないと思います。
そこに何が描かれているか、何を言わんとしているか、主にどの年齢層にどういう影響を与えるか・・・
表面上の形態で本(だけじゃなく全ての芸術作品)の価値や対象年齢を判断するのは違う。
対象年齢の基準は「文字が大きい」とか「漢字が多い」とか「あたたかい絵柄」とか「過激な描写がある」とか「カラフルでポップ」とか「モノトーンで怖い」とか、目に見える単純なことだけではなく、中身。子どもの本を選ぶ多くの方々に、そこの違いを気づいてもらえたらいいなぁ✨
あ、でも‼️
(幼い頃に読む絵本はさすがにそのままその子のアイデンティティになるので注意がいると思いますが)幼児期を過ぎて本人に自我が芽生えたら、本は対象年齢関係なく、難しい本でもなんでも、どんどん与えてあげて欲しいです。「自分」さえ持っていれば、悪書でもトラウマ本でも自由に読めばいい。その傷ついた心を自分で修復するのもまた勉強だし、それこそが本のおもしろさだから。だって、また他の本をたくさん読むことで心は癒せるから。本は毒にもなり、薬にもなります。いつまでも大人に検閲されたものばかり与えられて何の疑いもなく生きていくより、たくさんの毒に触れながら、たくさん悩んで考えて、心の耐性をつけていきたいです。
本をもって本を制す。
そうすれば将来きっと
「必要な本を的確に選び取れる」能力と
「悪影響な本からも何かしら学べる」能力を持った
本と何時間でも遊べる人がたくさん増えるとおもうのーーー‼️
🌼春名風花🌼
内田麟太郎・文 味戸ケイコ・絵
「うまれてきたんだよ」絶版本らしいです。
「うまれてきたんだよ」絶版本らしいです。
激しく復刊希望('・_・`)