*いとうあさこさんのファミリーヒストリーに
登場した幾瀬量(はかる)先生ってどんな人?
検索したけどほとんど出てこないんです
あらためて胸像の碑文が見たくて行ってきました
まずは
ファミリーヒストリーから・・・・・
あさ子さんの祖父は吉田家で、幾瀬先生の親戚です。
早くに父㊽が亡くなり5人兄弟はみんな
幾瀬先生にお世話になって育ちました。
幾瀬家はもともとは吉田家で
医者になるものが幾瀬を名のったそうです
あさ子さんの祖父は幾瀬家から、熊高に通い、のちに東大を出ました
量先生の先輩にあたる伊藤新作さん夫妻に見込まれて
伊藤家に養子に入り銀行員になりました。
あさ子さんの父は富士銀行の取締役でした
あさ子さんは庭にプールがある立派な家で育った
お嬢さんでした。
ファミリーヒストリー「いとうあさこ~チャレンジ精神は先祖譲り!?~」 - Bing video
番組内に出演した近所の方の話によると
貧しい家に往診に行ったとき、また明日くるから暖かいお布団を妊産婦に用意するようにと
お金を置いて帰ったとか・・・そんな先生いませんよね(感涙してしまった)
とっても素晴らしいお医者さんでした
赤ひげ先生のような人でした
岩崎公園脇にあります
先生は明治14年11月、栃木県那須郡烏山藩士戸田伸三氏の四男に
生まれ17歳にして医業を志し出京、湯島医学専門学校に学び
明治37年2月、幾瀬家の養子となる
明治39年卒業後、順天堂病院に技を磨き試験に合格、免許証を得る
明治41年開業以来、廉潔にして恩愛の情深く寡むるものに対しては
深夜風雪をいとわず貴賤貧富の別なく寡言黙々として燃るが如き人、
人間愛を以て患者に接し治病救恤之れ努め誇ることなく誠に救世主の
如き崇高な信念と高潔な精神に對し世人悉く敬慕せざるはなし
将又行政にも関与し地方自治の発展、文化の興隆等に貢献せらる
今回顕彰会員2千数百名は先生の遺徳を永遠に伝えんとこの地を選び
胸像を建設し、その功績を偲ばんとす
時に昭和31年3月5日
幾瀬量先生頌徳顕彰会長 高田清純選書
幾瀬医院は今は閉業してます
もしかしたら、
幾瀬マサ先生は,この幾瀬医院ご出身かと思います
いとうあさこさん、大好きなタレントさんなので
一層親しみを感じました
ずっとずっと活躍してほしい
お立ち寄りありがとうございました。(*^。^*)