

前回の荒尾城の記事でも、村上義清に少し触れましたが、坂城町に居館があったので、北信濃の中でも一番縁が深い町ですね。


満泉寺 村上氏の居館跡
本堂の裏山に葛尾城(カツラオジョウ)があったと思われる。
村上義清の子・國清により建立された村上氏の菩提寺
本堂に県内唯一の石造りの本尊があり、県指定文化財となってます。


漆喰彫刻の龍、初めて見ました。


この鬼瓦、面白い顔してる。
ここから山へ向かって200m行くと、坂城神社があります。




天和二年(1682)八月壬戌 石川市左衛門義孝奉納の狛犬
この石川氏は坂木宿に陣屋を置いていた坂木藩板倉氏の家臣。
この地を板倉氏が領地としていたことの証となる。
ここは坂木宿の通りの西のはずれ

逆に東のはずれに行くと、村上義清の供養塔があります。




十王堂の裏に供養塔があります


坂木代官長谷川安左衛門利次が施主となって建立した。
村上氏子孫、出浦氏子孫の名が出てきますね。
この出浦(イデウラ)氏は、村上氏の一族で
「真田丸」で寺島進さんが演じた出浦昌相(マサスケ)の子孫ですね。
出浦昌相は別名・盛清。


このキレイな形の山は、坂城町上平地区と千曲市上山田との境界にあり、
千曲川の谷を隔てて、村上氏の本城の葛尾山と相対し「のろし台」とか、
「出浦城跡」などと呼ばれています。
*さかき観光協会のサイト参照
村上義清、国清は武田信玄に敗れ、上杉謙信を頼って客将となる。
国清は謙信の養女をめとり、山浦国清と名乗る。
謙信死後、上杉景勝に仕えてのち、景勝から一字貰い山浦景国と名乗った。
上杉氏が会津移封になってからの山浦景国は消息不明。
また一族には、南北朝期に村上義弘は活躍し、
後に村上水軍といわれる勢力になった。
2005年には坂城町で村上サミットが開催されたそうです。
wiki参照
(^_^)/~
次回へまだ続きます。