児玉党本宗家 庄氏
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児玉党の嫡流が栗崎の地にうつり、庄氏を名乗った。
6代目の頼家は1184.一の谷の戦いで戦死し、
1202.夫人の妙清禅尼が宥勝寺を建て、菩提を弔った。

各地に庄氏が増えたことと、
時家が本宗家を継ぐという意味で本庄氏を名乗ったことが、
現在の本庄市の名前の由来になっているそうです。

備中などよそへ移ったものも多く、本拠地へ残った一族が、
本庄氏と名乗ったという説もある。

本庄は、江戸時代、中山道の宿場町として栄え、
近年、新幹線の本庄早稲田駅もできて、
その周りが整備され賑やかになってきました。

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「笑う盾持人物埴輪」がモチーフ
はにわ + 本庄 = はにぽん


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4代目家弘がここに移り住んだのが、おそらく1130年頃。


1200年過ぎたころには、近くの本田(ホンデン)館にうつったと思われる。
7代目本庄四郎時家 本田館・北堀堀内234



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東本庄稲荷神社
このあたりも東本庄館があったといわれている。
本庄信明の館ではないか? 東本庄館



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ここから右へ100m~200m栗崎館
ここから左へ約500m本田館


現在、市役所の隣に本庄城跡がありますが、
最終的には、本庄氏は1556年に本庄実忠がそこへ移ったようです。
本庄市台町城山571
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5代目正太郎家長は、栗崎金讃神社や、大山阿夫利神社を建立している。
現在は移転し、阿夫利天神社と呼ばれている。
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ここはまだ行ってないので、グーグルの写真です。


庄氏から本庄氏・四方田氏・阿佐美氏・牧西氏・富田氏・小島氏・・・
と分かれています。

次は四方田氏の予定です。



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ご覧いただきありがとうございました。



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