イメージ 1

愛宕神社は、拝殿はなく、門囲いの中に立派な本殿が厳かに祀られていました。
イメージ 2

四方の囲いに長い柄(たぶん神輿用)があるので、撮るのに苦労しました。
といっても相方を待たせたくないので、急いで10分、撮り方がメチャクチャでした。
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

弾琴夫人 背部胴羽目は3枚あって中央

イメージ 6
両脇が2枚合わせて、神宮皇后三韓征伐
  
神宮皇后は、仲哀天皇亡き後、朝鮮半島の新羅を攻め、服属させたという。
その後生まれた応神天皇が八幡神とされたため、八幡神の母として祀られる。
戦前には、武内宿禰とともに紙幣の肖像に用いられた。

組み合わせは武内宿禰。法螺貝を頭に乗せた人物(海に住むものであろう) が
潮満・潮乾の珠を神功皇后に献上している。
『八幡愚童訓』に見られる話をもとにしている。

イメージ 7

  脇障子は牡丹に唐獅子、滝に龍

イメージ 8
イメージ 9
ヤマトタケルの熊襲征討(せいとう)

『古事記』『日本書紀』で天皇家に従わない九州の民として書かれている。 それを退治するのがヤマトタケルで、タケルはクマソの首領であるクマソタケル兄弟を 討伐する。そのときにもらった名がヤマトタケル(もとはオウスノミコト)である。



私はヤマトタケルノミコトと聞くと、こちらの話が思いうかびますが・・・
古事記では、草薙剣で草を刈り掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くす。
それで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。


イメージ 10イメージ 11












天の岩戸開き

弟スサノオの横暴に困り果てたアマテラスは天の岩戸に隠れだす。世の中が闇で 覆われ、混乱し、神々は困惑した。 神々は天の岩戸からアマテラスを出そうと試み、岩戸の前で宴会を催し、アメノウズメが 神憑りして踊りだした。あまりの騒ぎにアマテラスが天の岩戸からその様子をのぞいた 瞬間、タヂカラオが天の岩戸をこじあけ、アマテラスは外に出ることになった。


イメージ 12
イメージ 13
イメージ 14イメージ 15












腰羽目には、唐子の様子が色々描かれています。
書・囲碁・琴などの習い事
鶏を籠に入れる・闘鶏を見る・鶏に餌やり
獅子舞・魚捕り・相撲

イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18

ぎっしり彫刻が施されています。


唐破風や向拝の龍はよく撮れてなかった。

     柱の組物(貫)も、龍、獅子、獏、鳳凰なども見ごたえありました。





石原常八の彫刻は、小川町の八宮神社、伊勢崎神社、板倉の雷電神社、
羽生の須影八幡神社にもありました。
二代常八、三代常八・・・なので同じ人ではありませんが。


お時間がある方、興味ある方はどうぞご覧ください。



ご覧いただきありがとうございました。
(^_^)/~