愛宕神社は、拝殿はなく、門囲いの中に立派な本殿が厳かに祀られていました。
四方の囲いに長い柄(たぶん神輿用)があるので、撮るのに苦労しました。
といっても相方を待たせたくないので、急いで10分、撮り方がメチャクチャでした。
弾琴夫人 背部胴羽目は3枚あって中央
両脇が2枚合わせて、神宮皇后三韓征伐
神宮皇后は、仲哀天皇亡き後、朝鮮半島の新羅を攻め、服属させたという。
その後生まれた応神天皇が八幡神とされたため、八幡神の母として祀られる。
戦前には、武内宿禰とともに紙幣の肖像に用いられた。
その後生まれた応神天皇が八幡神とされたため、八幡神の母として祀られる。
戦前には、武内宿禰とともに紙幣の肖像に用いられた。
組み合わせは武内宿禰。法螺貝を頭に乗せた人物(海に住むものであろう) が
潮満・潮乾の珠を神功皇后に献上している。
『八幡愚童訓』に見られる話をもとにしている。
『八幡愚童訓』に見られる話をもとにしている。
脇障子は牡丹に唐獅子、滝に龍
ヤマトタケルの熊襲征討(せいとう)
『古事記』『日本書紀』で天皇家に従わない九州の民として書かれている。 それを退治するのがヤマトタケルで、タケルはクマソの首領であるクマソタケル兄弟を 討伐する。そのときにもらった名がヤマトタケル(もとはオウスノミコト)である。
私はヤマトタケルノミコトと聞くと、こちらの話が思いうかびますが・・・
古事記では、草薙剣で草を刈り掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くす。
それで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。
天の岩戸開き
弟スサノオの横暴に困り果てたアマテラスは天の岩戸に隠れだす。世の中が闇で 覆われ、混乱し、神々は困惑した。 神々は天の岩戸からアマテラスを出そうと試み、岩戸の前で宴会を催し、アメノウズメが 神憑りして踊りだした。あまりの騒ぎにアマテラスが天の岩戸からその様子をのぞいた 瞬間、タヂカラオが天の岩戸をこじあけ、アマテラスは外に出ることになった。
腰羽目には、唐子の様子が色々描かれています。
書・囲碁・琴などの習い事
鶏を籠に入れる・闘鶏を見る・鶏に餌やり
獅子舞・魚捕り・相撲
ぎっしり彫刻が施されています。
唐破風や向拝の龍はよく撮れてなかった。
柱の組物(貫)も、龍、獅子、獏、鳳凰なども見ごたえありました。
石原常八の彫刻は、小川町の八宮神社、伊勢崎神社、板倉の雷電神社、
羽生の須影八幡神社にもありました。
二代常八、三代常八・・・なので同じ人ではありませんが。
お時間がある方、興味ある方はどうぞご覧ください。
ご覧いただきありがとうございました。
(^_^)/~