もうすでに書いていたらごめんなさい。
少し、心が落ち着いてきたので、記しておこうと思います。
僕は心療内科案件で10月5日に入院開始。
4日か5日に一度、妻は着替えを持ってきてくれて、
面談時間が少ないので、10分程度話して、またねって。
11月21日夜にLineで話して、次は24日に病院に来ることに。
家のリニューアルや僕の個室の話、今後やってみたい僕の仕事、
今度よっくりと話そうと。
11月24日、16時位に病室に来るはずなのに、妻が来ない。
15時まで裁判所で調停委員の仕事の後に病院に来る予定だったので、
調停が長引いているのかなと思っていました。
17:30に病室に夕食が運ばれてきて、遅すぎるな~とは思ったけれど、
面会は17時までなので18:30まで待ってみようと思いました。
来ない。???。
18:30に隣の家に電話して、車の有無や家の様子を確認。
車があり、電気がついていない。
裁判所に行かなかったのかな?。
体調悪いのかな?。
寝ちゃってるのかな?。
疲れてるのかな?。
心臓がどきどきして、ナースセンターに外出許可を取りに。
書類作成に時間がかかる、ように感じました。
1階の時間外窓口に行ってタクシーの電話を教えてもらい、
スマホからかけるけれども、タクシー会社が電話に出ない。
2つめのタクシー会社(少し遠い)の番号を教えてもらい、電話する。
手が震えて、上手く電話できなくて、とにかく連絡しました。
外はすごい強風で、スマホが見えない、寒い、鞄が飛ばされそうになる。
なんなんだよ、この風。立っていられないけれど、タクシーを外で待つ。
なかなかタクシーが来ない。全く来ない。もう1時間?。20分ほど待ちました。
タクシーで家の住所を告げ出発。
事情を運転手さんと話していないと、間が持たず、
錯覚だと思うけれども、タクシー運転手さんは、
ギアを上げ速度を最高にして走ってくれた気がする。
タクシーを待たせて、隣人も出てきてくれて、鍵を開けて入ろうとする。
家の電気をつけて探したら、
トイレで倒れている妻を発見。
隣人に救急車をお願いし、タクシーへの支払いもお願いした。
僕が呼びかけても返事がなく、顔を下にして、向こうに倒れていて、
妻の足に触ったら、肉感と言うか柔らかみを感じたのだが、
冷たかった。
救急隊員は「我々ができることはありません」と、
心拍ゼロを、装置で確認。僕に確認して欲しいと。心拍なし。
既にお亡くなりです。
パトカーが来て、事件性の有無が始まり、部屋の確認、財布の確認、身元の確認。
並行して、別室で、遺体の見分?。外傷の有無など。
事件性が無いようなので、事情を色々聞かれたのちに、
妻はストレッチャーに乗せられて、バンで警察署へ連れていかれました。
警察から遺体の引き取り日や、明日には葬儀社を決めておいて欲しいと。
とても優しい、救急隊員の方々と、警察の方々。世話になりました。
全ての処理が終わった後、隣人の家に来てもらっていた友人(元部下)が来てくれた。
その晩は、その友人と、寝ることなく、朝まで話した。
いや無言だった。
21日にLineで話した、会った時に相談しよう、ついこの間まで生きていた。
妻はタバコも酒もやらないばかりでなく、健康オタクだし、運動もしていた。
後日、告別式のスピーチで、妻は3度死にかけたらしいが、
希望通りの120歳は無理でも、妻は死なない人だと僕は勝手に思っていた。
25日に神戸から僕の妹が来てくれた、
葬儀社と相談、警察署に葬儀社と待ち合わせ。遺体引き取り。
葬儀社に遺体を安置。葬儀の内容など話し合う。
その時にも、たくさんの妻の友人が支援してくれて、
例えば、葬儀社との相談には葬儀社1名でこちらは6人。
26日に死体検案書が病院から出されて、
火葬や分骨や死亡届を葬儀社にまかせた。
死体検案書に書かれていたこと。
死因 : 心臓突然死(詳細死因は解剖が必要なのでここまで)
死亡日時 : 2023年11月22日AM11時頃 (あくまでも頃でしかなく)
そっか、僕が妻を発見したのは、妻が倒れてから3日経っていたのか。
3日間一人にしてしまって、ごめんね。
3日間、気が付かなくて、ごめんね。
何も言わずに、逝ってしまった無念は、僕より君の方が大きいよね。
10月5日から入院のせいで、毎日会っていなかったから無念だよ。
60歳は若い。社労士として現役だったしね。
また新しいビジネス相談しようとしてたしね。
3日間も君の死をしらず、ごめん。