最近思っていること。
私は前にも書いたことがあるけど、1996年にうつ病になり、それから躁うつ病、双極性障害になった。
過呼吸ではないけど、パニック障害や不安障害も併発して。
病歴がそこそこ長いので、鬱や軽躁の対処は、分かっているつもり。
でもやっぱり、鬱症状が出たときは辛かったりする。
今も軽い鬱なんだろうなあ。
私の生きる原動力は、家にいる猫さん6匹
外猫の2匹もかな
だから、うちの子たちが誰もいなくなったら、私の命も燃やすと決めている
でもそれまでは、絶対に死ねないし、身体の病気も入院もできないと思っている。
お世話もそうだし、すずとるいは、てんかん持ちで、朝晩のお薬を飲まないでいると、発作が起きてしまう。
すずは、目が不自由なとこもあるし、るいの発作はとても大きくて、病院行きになる。
だから薬は確実に飲ませないといけない。
それは私しか出来ない。
だから今は死ねないし、死にたくない、生きていなきゃならない。
ただ、皆がいなかったら、私はとっくに生きてはいないと思う。
今、軽い鬱なんだろうな、矛盾してるかもしれないけど、生きているの嫌だなって思う。
そもそも、なんで自殺しちゃいけないんだろうって思う。
本当に生きてることが辛くて、生きるのをやめたいんだったら、それも選択肢の一つでいいと思ってる。
私は、猫さんがいなくなったらそうするし。
一時の感情だったらダメだけど、そうじゃない何かがあるんだったら、選択の自由じゃないのって。
哀しむ人がいるからっていうけど、死を望む人は、そういう事を考えるほど、心の余裕はないんじゃないかな。
私は過去に、いのちの電話も何度かかけたこともあるけど、言わなくても分かるよ、みたいにありきたりな事しかいわないし、かけて良かったと思ったことはなかった。
それで救われる人もたくさんいるとは思うけど。
何が書きたいのか分からないと思うけど、思ってることをつらつら書いてみただけ。
『死にたい』人たちは、『生きたい』に変わればいいね。
1人でも誰かに必要とされている人たちは、生きてて欲しい。
でもその人の為ではなく、自分の為に。
私も、猫さんたちがいる間は、頑張って生きたい。
ただ、同じ時間どうせ生きていくなら、笑って過ごしたいよね。