先週の水曜日の朝の事です。僕の田舎の婆ちゃんが亡くなりました。

母親の実家は福島県の会津若松で、僕は婆ちゃんにとっては2番目の孫で、初孫の姉の時も婆ちゃんは神奈川の僕の家に来てくれて面倒を見てくれたし、僕の時は早くから来て楽しみにしてくれていたそうです。

子供の時は夏休みに度々会津に行っていたのですが、会津の爺ちゃんは僕が小学生の時に亡くなり、葬儀の時に出掛けた時から会津にはなかなか行かなくなってしまい、それから僕も大きくなり、何か親が用事がある時以外は会津に行かなかったので、婆ちゃんに会う事も少なくなりました。

会津の婆ちゃんはとても長生きで、米寿のお祝いや白寿のお祝いの時は、僕の事も覚えていてくれたのですけど、百歳になった頃から呆け出してしまいまして…

ここ数年は、顔を見ても解らず、会うと「知らねえ人を家に入れるな」とか「この泥棒❗」と、近くの親戚の人でも判らないくらいになってしまい…😓

それでも自分の子供は解るのか、母親の兄弟と、一緒に暮らしている叔父さんの奥さんや孫は解る様で、亡くなる二年前までは叔母さんなども認識出来たようなのですが、一年ほど前から叔父さんと奥さん以外は判らなくなり…

その間に一番若い叔父さんが亡くなり、叔母さん達も病気をしたり、叔父さんが亡くなりして、オバァの方が長生きしてしまっていて、皆、いつオバァが無くなるのかな?こりゃ、大変だぞと思っていたんです。

それが今年の6月頃からお医者さんに、そろそろ覚悟をと言われて、意識も無く、点滴だけしか出来ない状態で4ヶ月ほど持ち、最後までオバァを見守ってくれていた叔父さん一家の苦労と気持ちを考えると…  本当にご苦労様でしたとしか言えません。

その葬儀が土曜日に行われ、僕は千葉にいる叔母さんを乗せて神奈川から会津まで運転して連れて行き、無事にお葬式も済みました。

この写真は会津若松の火葬場です。

葬儀は、最近はコロナウイルスの影響で自粛気味なのですが、会津は感染者も少ないと言う事で、親族や知り合いが集まり、従来のお葬式が出来ました。

オバァは104歳で、本当に元気な婆ちゃんでした。なので、悲しみと言うより、お祝いに近いお葬式でした。

そうは言っても、やはり別れは悲しい物です。皆、涙してました。僕も会津の言葉で法要する御住職の説法を聞いている内に涙してました。普通の話なので標準語なら何とも感じない話なのですが、何処かで会津の血が反応したのでしょうね。

婆ちゃんをお見送りして、親は兄弟で温泉に行き、僕は一人でホテルに泊まり、晩御飯は飲み屋に行きました。これも初めての事です。




婆ちゃん、長い間ありがとね。

会津のいろいろな話は、落ち着いてからアップしますね😉