こんにちは。
こんばんは。
おはようございます。
kouseki✩°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝です。

今日は、父の命日です。

なんにもしてあげられないから思い出をお話。

しばしお付き合い下さい。

ウチの父はそれこそ「九州男児」というものを地で行くような人でした。

亭主関白、短気、母が居ないと何も出来ない、でも優しい所も有りました。

所が亡くなる4年前、自分が居ると家庭が上手く行かないと父の実家である、福岡の柳川へ単身で帰りました。


私達は反対するでも無く賛成するでも無く...

夫婦の問題だからと...

でも4年経った在る日、父が救急車で運ばれたと、父の友人から電話が入りました。

私は2日後が病院だったので、遅れて行き、母は次の日の飛行機で行きました。

母が今思えばその日に新幹線で行けたのに気が動転したのか飛行機しか頭に浮かばなかったと言う事を言ってました。


父の病気は、血の塊が肺に飛んで呼吸が出来なくなるという様なもので、カテーテルを入れたそうです。

2日後私が行くまで、母は父の実家に1人で泊まる事を嫌がり病院の父の病室で簡易ベッドを借りて横に寝てたそうです。


私が柳川に着いてからは2人で父の実家に行きました。

父は地区の地区長をやってたのでその引き継ぎを病院に入院しながらやってました。
その度に私に電話が掛かって来て
「あれとあれを持ってきてくれんか」とお呼びが掛かります。
途中から歩いて行くのは大変だったので自転車で行くようになってからは余計です。
母が父に対して怒る位呼び出されてました。

でも私は嫌では無かったのでホイホイと自転車で持って行ってました。

しかし段々と体力が無くなって行き、挨拶回りはやっとの事で車から降りる様な状態になってました。

全部終わった後近くのお団子屋さんから買って来たお団子で、父と乾杯した時の父の笑顔は今でも忘れません。


そして次の日父は横浜へ帰って来ました。
家は4階でエレベーターが無いので、弟が父をおんぶして自宅迄あがったのです。

その為に私はダスキンでベッドを借りてました。

そのベッドも2週間程で返す事になります。

倒れて救急車で運ばれて大きな病院に入院する事になったからです。

入院したその日は私は自分の病院で病院に行く途中で知りました。
終わってから直ぐに父の所へ行きました。
以外と元気そうにしてたので安心はしましたが、先生の話しでは余り良くない状態だと言う事でした。


結局2ヶ月程した今日、父は旅立ちましたが、私は最後に柳川で父に頼まれた書類を運んだ事と入院してから毎日欠かさずお見舞いに行った事が最後の親孝行だと思ってます。
弟はおぶって父を家迄連れて帰った事、休みの度にお見舞いに行った事が親孝行。
そして妹も東京から横浜迄休みの度に父のお見舞いに行った事が親孝行。
三人三様で最後の親孝行が出来たと思ってます。

今でも父が亡くなったという自覚がありません。

それはきっと皆の傍で何時も見守ってくれているからだと思ってます。

自分の身体より私のうつ病を心配してた父でした。

父、有難う。

暫しのお付き合い有難う御座いました。
イイネも何時も有難う御座います。
kouseki✩°。⋆⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝

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