先日、実家の墓参りに、主人と娘と3人で行って来ました。
父の納骨式に参列出来なかったので、父の初墓参りになりました。
八十九の誕生前に亡くなって、八月八日に亡くなって居ます。
八尽くし…、だね。お父さん。
亡くなった祖父と祖母と父の弟妹(叔父叔母)と母と、一緒の墓に眠って居ます。

これまで何度も参った事があるのに、実家の墓石を見てあれ?と疑問。

私、ずっと実家の紋は「剣梅鉢」だと思って居て…。何故かそうインプットされて居て…。多分、家族の誰かがそう言って居た記憶があって…。婚家先の紋は「丸に梅鉢」で。「梅鉢」同士だって思って居て…。
でも、違う…。
全然、違う…。
だって、花弁五枚無いもの!
これ、何の紋?


しっかりと写メって帰宅。
そう言えばと、祖母から継母へ、そして私に渡って来て、嫁ぐ時に持って来た色無地(淡い紅色)の着物の紋を確認したら、墓石と一緒でした。…ずっと、梅鉢だと思って居ました(^。^;)。

それから検索してみると、田字草紋と言うらしいです。シダ系の植物の葉からの紋様で、花弁ではありませんでした。

で、実家の氏と紋で検索しまくり、遡ってみると…。

なぁんと、枕草子や源氏物語の世まで遡ってしまって…(笑)。ちょっと、びっくり。でも、面白い~!

婚家先(主人)の起源(ルーツ)に、巡りあった時とおんなじで、なんかドキドキワクワク。

藤原北家九条流の兼道の子の道長と道隆。道長はそこから、藤原北家御堂流として栄華を極めるのですが、藤原北家九条流の道隆は、その子の代に失脚や返り咲きなど紆余曲折。その子の一人隆家が、実家の氏の遡り行き着いた先の様です。隆家のきょうだいには定子が居たりして(勿論かの清少納言がつかえた定子であります)…。
想像するに、隆家は太宰権帥として九州にあった事があり、隆家の兄弟や隆家の何代か後の子孫にも太宰府に赴任した記録があり、そのあたりで枝葉として分かれて行って定着したのではないでしょうか。

先月頭に宇治平等院へ詣ったの事も、縁なのかなぁ…と、少し感慨深いです。

色々と辛い思い出の多い実家ではありましたが、御先祖様あっての自分。
御先祖様無しには、語れぬ自分の存在ですものね。
感謝、感謝で、御座います。
良い勉強をさせて頂きました(^人^)m(__)m