ご褒美といえば、上野動物園のシャンシャンは首ったけのパンダ団子が入った竹筒を飼育員さんに用意してもらうことがあります。

 
 
 
 

このパンダ団子が竹筒の穴から出てくる仕組みになっているのですが、脇目も振らず振らないと、団子は出てきてくれません。

 

 

 

 

 

シャンシャンは毎回、持てるすべての力で竹筒を振り続けます。

 

 

 

 

 

すると、ポロッと出てきます。

 

 

 

 

 

飛び出したパンダ団子を頬張るシャンシャンは、幸せを絵に描いたような表情を浮かべるのですよね。

 

 

 

 

 

その姿を見て「よくやったね、シャンシャン!」と、私まで幸せな気持ちになります。

 

 

 


 

 

 

 

「人の役に立つよろこび」を基本的に知っている人は、ただ人の役に立つために行動を起こします。

 
 
 
 

 

そのこと自体がよろこびなのですから、相手がなにかを返す必要はありません。

 

 

 

 

 

相手からの見返りを求めて、やっているわけではないのです。

 

 

 

 

 

たとえば、仕事の達成をみんながよろこんでくれたとき、次もがんばろうと思います。

 

 

 

 

 

ここまでやれば、家族に楽な生活をさせてやれると思うと、やる気がわきます。

 

 

 

 

 

人の笑顔がうれしくて、ついなにかしてあげたくなります。

 

 

 

 

 

 

仲間の成長や幸せな姿を見ると、「もうひとがんばりしてみよう!」と思えます。

 

 

 

 

 

 

家族の団らんが楽しみで、ふんばれます。

 

 

 

 

 

 

このような行動には、だれかがよろこぶ、だれかが幸せになる、というように、必ず人が登場します。

 

 

 

 

 

 

そのために自分が役に立てるのは、私たちにとってはすごい大きなよろこびです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は本来、人の役に立ちたいと願っています。

 
 
 

 

この存在を使って人の役に立てることができるとしたら、こんなにうれしいことはありません。

 

 

 

 

 

普段から自分の働きが、人の役に立っていることを知っている人は、外に行ったときも、人の役に立とうとします。

 

 

 

 

 

たとえば、電車やバスで席を譲ります。

 

 

 

 

 

困っている人に、手を貸します。

 

 

 

 

 

職場でだれかがやらなければならないことを、進んでやります。

 

 

 

 

 

それは、なにかにつけひとりひとりに感謝し、よろこびを伝える人から育まれます。

 

 

 

 

 

すべての人たちに、今一度、自分の気持ちを言葉で表すことの重要さを確認していただきたいと思います。

 

 

 

 

 

人が共鳴し、共感して、自ら動きたくなるのは、気持ちを聞かされたときなのです。