もし、ご自身が現状の自分に 違和感を感じているとしたら 、少し無理をして、我慢して、自分を押し殺しているのかもしれません。
そんな時は、「ありのままの自分」を、受け入れてもらえる環境へいきましょう!
さて、私はよく空想をします。
政治家のかわりに、各国が代表として、その国の最前線で活躍中のユーモア人を国際会議に送りこんだら、どんなにすばらしいことでしょう。
すると、いままでのような大げさでかた苦しい深刻なふんいきが消えて、ずいぶんと明るいムードになるでしょう。
そこに集まってくる人たちは、士気を高めることに精進する人たちだからです。
こんなことを空想するのは、「笑いほど身近で、単純に人々を結びつけるものはない」と思うからです。
笑いは、説明がいらないのです。だれにでもわかるのです。
だれもが、個人と個人の関係のなかで、「心からの笑いが、わだかまりをあっさりと解いてしまった」という経験をしたことがあるでしょう。
ユーモアをくみとる人やコメディアンが、人のためになる、医者の役割を果たすことは、まちがいありません。
人を笑わせたり、あまり深く考えないほうがよいと考えさせてくれる人はみんな、直接、精神の健康の役に立っています。
最近の医学の研究では、笑いはいちばんよく効く薬になるそうです。
人生は人をドタバタ喜劇の主人公にした、すばらしい冗談です。
神経症の人のなかには、そのことを知らなかったから、病気になってしまった人が多いのではないでしょうか。
ユーモアは、日頃の大げさなさしせまって身に感じる様子や息がつまる礼儀正しさを、たとえ一瞬でも忘れさせてくれます。
これは、悲しみや不幸が起こったとき、人の精神のほうが強いということをあらわしています。
おばあちゃんから小さな子どもまで、この家族があつまれば、そこにはかならず笑いがまきおこっていました。
不幸に直面したときも、同じでした。
多くの人が、ばかなことや子供っぽいことをするのは、人の品行や規範などにおいて下のレベルに落ちると思っています。
人には頭の働きがにぶい一面もあり、子供っぽさも大切だということを理解しないのです。
そして自然の行いや楽しみを犠牲にして、尊さを求めています。
自由な笑いを上品な忍び笑いにおきかえています。
楽しいことをしようとする人に、よくない点について注意を与えます。
ですが、自分の他愛なさをほんの少し楽しんだからといって、なんの罪になるでしょうか。
これ以上ばからしいところはありません、という世の中です。
自分もこわれてしまって、楽しく暮らすことをためらうことはありません。
これもひとつの、賢い生き方です。