勇気をもって扉をあければ、すばらしい世界が待っています。

 
 
 どのような心理学の本にも、人間の行動の基本型は、幼年期に受けた両親の影響によっていちばん左右されると書かれています。
 
 
 
父親や母親が、男性女性の役割の原型になるというのです。
 
 
 

 ある人たちは、自分が愛を表現できないのは、両親が愛することを教えてくれなかったせいだと信じ切っています。

 

 

 

彼らは、後戻りはできないのだと思い込み、自分が長年愛のない孤独な生活をしてきたのは、過去のせいだと自分を正当化しているのです。

 

 

 

 ですが、どんなことがあっても「人間の行動パターンは、とりあえず決定されると変えることができません」という考え方に固まらないことです。

 

 

 

人を深く愛したり楽しく愛したりすることが不安でできないという人にも、吉報はあります。

 

 

 

今日からでも遅くありません。

 

 

 

 愛への道を歩むとき、辛いこともあるでしょう。

 

 

 

いやなこともあるでしょう。

 

 

 

拒否されることだってあるかもしれません。

 

 

 

ですが、愛にたどり着くには、勇気と立ち上がる力と希望が必要なのです。

 

 

 

すぐにあきめる人のところへは、愛はやってきません。

 

 

 

愛は、人間が経験するもののなかで、いちばん褒美の多いものです。

 

 

 

挑戦する価値はあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の「ハピネスオンラインサロン」に参加して刺激を受けたTさんが、いちもくさんに家に帰り、奥さんを愛の表現ぜめにしました。

 
 
ふたりの生活に目新しい愛の生気を吹きいれようとしました。
 
 
 
数年間の結婚生活の間、愛情を表現したことがなかったTさんは、奥さんからいぶかしく思われました。
 
 
 
想像できるでしょう。
 
 
 
「結婚して数年になるのに、どうしてこんなにとんでもなく、愛してる、愛してるというのかしら?」
 
 
 
 奥さんはあやしいと思いました。
 
 
 
少し頭がおかしくなったか、でなければ後ろめたいことがあるにちがいないわと、Tさんに疑念を抱きました。
 
 
 
Tさんはまるっきり怒りがこみ上げました。
 
 
 
奥さんが上機嫌になり、自分の腕のなかに飛び込んでくるものと考えていたのです。
 
 
 
ですが現実には疑われ、怪訝に思われ、背をむけられたのです。
 
 
 
挙げ句の果てに、Tさんは安全な場所に身をひいて、今までどおり愛をおもてにあらわさない生活に戻りました。
 
 
 
愛を捨てたのです。Tさんは自分を正当づけました。
 
 
 
自分は努力したんだ。悪いのは自分じゃない、妻のほうだ、というように。
 
 
 
 Tさんは、奥さんをもっと深く愛そうと思いっきり努力したかもしれません。
 
 
 
ですが、愛という複雑な感情に対する心の準備をしていませんでした。
 
 
 
また、愛は一晩ではならず、忍耐と時間と努力が必要だということを知ろうとすらしなかったのです。
 
 

 現代の世の中は、考えうるありとあらゆることがらについて、「どうすればいいか」の情報があふれ出しています。

 
 
テレビ番組や自己救済の本、手引書、新聞雑誌の記事、SNS、YouTube、それらが絶えず私たちに「美しい体になるためには」「友だちをたくさんつくるためには」「よりよい人間になるには」「不安に負けないためには」と教えてくれます。
 
 
 
なんでもかんでも手とり足とり教えてくれるのです。
 
 
 
私たちは、美しいマリーゴールドが咲かせられるためには、時間もお金も惜しみません。
 
 
 
ですが、人を心から愛せるようになるには、それと同じくらい努力が必要などと匂わせようものなら、あとずさりしてしまいますます。
 
 
 
趣味に関心を持つのと同じ情熱を、趣味よりはるかに満足の得られる目標に注目してみてほしいです。
 
 
 
それは、どんなにすばらしいことでしょうか。
 
 
 
 基本からはじめたければ、まずなによりも大切なのは、「いま、はじめる」ということです。
 
 
 
新しい愛をひとつ学び、体験すれば、そこにはまたもうひとつ新しい愛の入り口があります。
 
 
 
そうやってひとつひとつ新しい入り口をくぐるごとに、私たちにとっても、また私たちが出会う人にとっても、よりすばらしい世界が開けていきます。