2024年1月8日(月・祝)

よく「話し合いで」

と、簡単に言う人がいますよね

 

それには先ず、大前提があって。

 

その話し合おうとする双方に

 

「なるほど、

  相手にはそういう事情があったのか」や

「それは確かにそうかもな…」といった、

 

その話し合いによって

 

自分の意見が変わるかも知れない、

という

 

自分にも相手を受け入れる<余白>が無いと

そもそも成り立たないのですよ。

 

<己の心に、

 相手の話を聞こうとする余地がある、又、

 相手を尊重し、その相手の言う言葉に素直に

 耳を傾けられる意志がある>

 

それがまず無いと。

 

結局は

自分の言い分を通そうするだけの、

又、

相手を否定するだけの、

 

互いの言い分の言い合いになり、

 

その「話し合い」に取った時間が

本当に無駄な時間になるのですよ

 

不毛な

意味の無い時間に。

 

だから

まずはそこを見極めないといけません

 

この人と「話し合いができるのか?」と。

 

その為には

先に挙げたことを言葉に出して

 

実際に、

確かめてみてもいいかも知れませんね

 

そうでないと

会うこと自体

時間の無駄になってしまいますから。

 

そして世の中には

自分と決して分かり合えない人というのは

いますから。

それもまた現実ですから。

 

その現実を受け止めつつ、

 

相手の意見によって

ほんの少しだけでも

 

自分の意見が変わる面白さが

体験できたら

それはとても貴重ですよね

 

それは

「話し合い」の意味があったと

言えるのではないでしょうか

 

いずれにしても

貴重な人生の時間を

 

さらに面白くしていくのか

無駄にしてしまうのか

 

見極めながら

進んでいきたいものですね