どのように寄り添うか‥‥。母は度々アプリにも登場する。

私は南中生美術部員ではないのだ。多分誰かと間違っている。

母の呆けは少しずつ進む。


大人でも度々私に向かって嫌なことを言う嫌みを言うということは私の事を嫌いだということ。なぜあんなことを言うのか。

どのように語彙力を合わせるのか等々考えることは山積みである。

今回はテーマをなくして私が思うことを記述した。難しい言葉で説明をするという佐藤蓉子さんの自己啓発セミナーにおいては,特に難しい言葉で説明しなくても相手に分かりやすく伝われば良いのでは?と価値観の違いが生まれてしまう。

でもあの人がそう言うのであればそうなのかもしれない。けれどもなぜ同じ日本語を話しているのに伝わらないのか?

それは彼らが異文化だからだ。私は日本語を話している。彼らはそれを理解しようとはしない。

日本人ではあるが異なる語彙力をしているため歩みより方から見直す必要がある。

けれども私は寛大ではない。嫌いな者は嫌いなのだ。

ああいう人もいればああいう人もいる。

昔の教師のように私もはっきり言いたい。