時間、経験、環境とともに考え方はシフトする。
その変化を感じ取ること、
自分の歴史を忘れないこと、
大事。
自分を否定してばかりいた中学の時、自分を否定する事はつまり、同じような部分を持った誰かをもまた否定する事。否定される辛さがわかっていたからそんな思いをさせたくなくて周りの人を否定しない為に、自分を否定する事も辞めようと思った。
想いが一方通行の辛さ、寂しさ、空しさ、絶望、孤独をわかっていたから、周りの人にはそんな風に思ってほしくなくて常に相手以上に繊細に、深く、想い続けようとしていた。
誰にも自分は一人ぼっちだなんて思ってほしくなくて、はるかは思ってくれてる、心からそう思ってもらいたかった。そういう存在が何よりの救い、支えである事を知っていたから。
生きてる事、自分の存在を結局は認める事が出来なかったから、誰かの人生の不可欠要素になる事でそれを自分の存在意義と考えていたのかもしれない。生きる意味をくれるのだから、その生き方そのものが究極に自分の為。
でも、それだけ惜しげもなく人の事想って想って深く考えてた。
表面上の何かが怖くて、だからいつだって心の底から周りの人を大切に、決して裏切る事の無いよう自分に厳しくしてた。些細な裏切りも許さなかった。見えない所の大きさあってのやっと伝わる、それが真実の気持ちと思ってた。あまりにも繊細に純粋に目指してた。求めていた。そうした日々は反面つまり、常に自ら背負う暗闇と顔合わせでもあった。
しかし、
そこから目を背け、慣れたかのように過ごせる要らない強さを身に付けた。
たくさん傷付き、
たくさん裏切られ、
いつしかそれをそのまま人に向けたりしてた。尖った刃物のように。
環境のせいにしてしまえば、
この街で一人暮らしていくのは、
そんな人格を造り上げる何かに満ちている。
だとしたら、
この街で暮らしていくと決めた以上、自分が変わらねばならない。
そして同時に、こうして言葉にして未来の自分に残したり逐一意識したりしなければ、大切にしたい事が大切に出来ない自分をも認めなければいけない。
パパは自然に出来てる。
いつだって当たり前のように人の事想って考えて動いてる。
そういう尊い生きざまを見てきたから、自分は意識しないとそうは居られない事もわかる。身に付いてないって事がわかっている。
でも、ばぁのあったかさやおぉっきな愛、パパの心の綺麗さ、心から私を心配して一緒に泣いてくれた先生…書ききれないけれど、尊すぎるもの感謝してもしきれないもの確かに出会ってきた。
その尊い生きざま、あったかさ、もらった幸せ、それらは言葉にならない程に大切で大切で大切なもの。それらに出会わせてもらった私は、恩返しはもちろん大事だけれど、誰かに伝えていく事、そうして広げていく事、残していく事、そこに生かされる意味(私の使命)があるかなって最近は思っている。
親が口を酸っぱくして教えてくれた事『人を傷付けてしまったら命に代えてでも償う事は出来ない。(取り返しがつかない。)』
ここ1、2年の自分の態度は自分でも目に余るものがある。たくさん傷付けてしまった。
優先順位、正す必要がある。
自分への厳しさが人に向いていた。
傷付いたボロボロな心が剥き出しで、周りの人を傷付けてきた。
荒んだ心が荒んだ心をうむ。負の連鎖を自分で立ちきる事こそ、必要な強さ。自分が負の連鎖をこれまで生み出してきた事へのささやかな償いも込めて強く決心。
万里の道も一歩から。
後戻りしてもその分もっと進む。
失敗から目を背けず向き合う事、まずありのままを受け入れる事大事に。
Android携帯からの投稿
その変化を感じ取ること、
自分の歴史を忘れないこと、
大事。
自分を否定してばかりいた中学の時、自分を否定する事はつまり、同じような部分を持った誰かをもまた否定する事。否定される辛さがわかっていたからそんな思いをさせたくなくて周りの人を否定しない為に、自分を否定する事も辞めようと思った。
想いが一方通行の辛さ、寂しさ、空しさ、絶望、孤独をわかっていたから、周りの人にはそんな風に思ってほしくなくて常に相手以上に繊細に、深く、想い続けようとしていた。
誰にも自分は一人ぼっちだなんて思ってほしくなくて、はるかは思ってくれてる、心からそう思ってもらいたかった。そういう存在が何よりの救い、支えである事を知っていたから。
生きてる事、自分の存在を結局は認める事が出来なかったから、誰かの人生の不可欠要素になる事でそれを自分の存在意義と考えていたのかもしれない。生きる意味をくれるのだから、その生き方そのものが究極に自分の為。
でも、それだけ惜しげもなく人の事想って想って深く考えてた。
表面上の何かが怖くて、だからいつだって心の底から周りの人を大切に、決して裏切る事の無いよう自分に厳しくしてた。些細な裏切りも許さなかった。見えない所の大きさあってのやっと伝わる、それが真実の気持ちと思ってた。あまりにも繊細に純粋に目指してた。求めていた。そうした日々は反面つまり、常に自ら背負う暗闇と顔合わせでもあった。
しかし、
そこから目を背け、慣れたかのように過ごせる要らない強さを身に付けた。
たくさん傷付き、
たくさん裏切られ、
いつしかそれをそのまま人に向けたりしてた。尖った刃物のように。
環境のせいにしてしまえば、
この街で一人暮らしていくのは、
そんな人格を造り上げる何かに満ちている。
だとしたら、
この街で暮らしていくと決めた以上、自分が変わらねばならない。
そして同時に、こうして言葉にして未来の自分に残したり逐一意識したりしなければ、大切にしたい事が大切に出来ない自分をも認めなければいけない。
パパは自然に出来てる。
いつだって当たり前のように人の事想って考えて動いてる。
そういう尊い生きざまを見てきたから、自分は意識しないとそうは居られない事もわかる。身に付いてないって事がわかっている。
でも、ばぁのあったかさやおぉっきな愛、パパの心の綺麗さ、心から私を心配して一緒に泣いてくれた先生…書ききれないけれど、尊すぎるもの感謝してもしきれないもの確かに出会ってきた。
その尊い生きざま、あったかさ、もらった幸せ、それらは言葉にならない程に大切で大切で大切なもの。それらに出会わせてもらった私は、恩返しはもちろん大事だけれど、誰かに伝えていく事、そうして広げていく事、残していく事、そこに生かされる意味(私の使命)があるかなって最近は思っている。
親が口を酸っぱくして教えてくれた事『人を傷付けてしまったら命に代えてでも償う事は出来ない。(取り返しがつかない。)』
ここ1、2年の自分の態度は自分でも目に余るものがある。たくさん傷付けてしまった。
優先順位、正す必要がある。
自分への厳しさが人に向いていた。
傷付いたボロボロな心が剥き出しで、周りの人を傷付けてきた。
荒んだ心が荒んだ心をうむ。負の連鎖を自分で立ちきる事こそ、必要な強さ。自分が負の連鎖をこれまで生み出してきた事へのささやかな償いも込めて強く決心。
万里の道も一歩から。
後戻りしてもその分もっと進む。
失敗から目を背けず向き合う事、まずありのままを受け入れる事大事に。
Android携帯からの投稿