私はよくAERAを読みます。
今日は、特別号の「働く女性」号?を読みました。なぜなら表紙が米倉涼子さんだから。
私は米倉涼子さんのサバサバとしたところが大好きです。私自身そういう女性への憧れが強いから、たぶん。
「女だからって見下されたくない!だから私はそんな男のようになる」みたいな事おっしゃっていました。
私も全く同様です。男の後ろを歩け、女は家に引っ込んでなさい、そんな価値観クソクラエって思ってましたから(笑)本当に私も自分は中身が男そのもので、女装した男です(笑)
いや、むしろ男が女性を見下すものなら私は真の意味で男の対局にいる。しかもそれは俗に言う女ではない。
つまり、男だ女だなんて区別する事に意味はないって事かな。
まっそんな事は横に置いて、
世の中ね、頑張るガンバルがはびこっていますね。
私もたぶん頑張る信教の信者です。
ただね、世の中の流れを俯瞰できる人間が次のステージに進む、次の世の中を創るんですよね。
いや、そんな大それたことじゃなくっても幸せを見失わないで生きられるって思いますよ。
同時に、危険な領域に踏み込む可能性もありますけど・・・
香山リカさんの「しがみつかない生き方」って本があって、
母親の本棚に見つけて読んだのですが(しばし昔の話)
そこには「勝間さんが煽っているように、頑張る頑張るって生きるその先に、その人生に幸せはあるのか?」と疑問を呈することから始まって、
結局そうする事によって人は足りないもの探しに居たり、欲望を抑えることに疲れ果て、幸せにはなれない。頑張るを辞める事によって、その競争社会的価値観を捨てることによって幸せに気づく事ができる!
そう精神科医の香山リカさんは言うのです。
なるほど!!!
かなり納得。しかし、私はいまだに頑張る信教から回心できないでいるのであります。だってどうしても頑張る事以外に道が開けない気がして。
そうすると、「幸せって何?」って問いに至るのであります。夢を叶える事が幸せなのだろうか?
このまま叶わないまま辛い思いをして頑張る頑張るで欲望を抑え続ける人生だとしてら、それは幸せな人生だろうか?ってね♪
そして、今年、なんと勝間さんと香山さんの対談本が出ました。
「勝間さん、努力で幸せになれますか?」って本です。読んでみたい!
勝間さんは言う、努力は苦しいばかりではありません。
香山さんは言う、私には苦行以外の何物にも思えません。
おっ!勝間さんの頑張れ教は時に息苦しいと思っていたが、努力が苦しいながりではないってこれまた納得(笑)
でもこの事自体、頑張れ教に取りつかれているのかもしれません。だって精神科医の意見って事はひょっとしたら心理的には理にかなっていないのかもしれない。頑張れ教に感じる息苦しさ、この言葉にならない感覚こそが真実であって、本来持っている感情なのかもしれない。
すると、もう私は現代の波にのまれ完全に頑張る教の優秀な信徒になっているぞ(笑)
でもね、世の中、疑問を持たないで波に乗るっていう賢い方々が成功するなんて言われてますしね・・・
ますますわかんない。
私は今日、大学の図書館の前にある大きな木を見てふと思ったのであります。
てっぺんの方に居る葉っぱは周りに葉っぱ(仲間)が少なくてかわいそうだ。しかし、あんな高い所から見る景色はいかに素晴らしいだろう。いや、彼(彼女でもいい)はきっと低い場所に居た事が無いからその素晴らしさに気がついていない。そして、散る時のその地面とのはるかな距離に怯えているのかもしれない。「葉っぱのフレディ
」のように。
対照的に、下の方の葉っぱは周りに仲間(葉っぱ)がたくさん居てたくさんの人の目について、散る時もすぐそばに降りるだけだね。
上の葉っぱがいいとか下の葉っぱがいいとかね、考えた時にね、
もし私がどちらかを望んだとして、それは私の意思(頑張り)には関係がないのではないかと思ったんです。
上に居る葉っぱも下に居る葉っぱも望んでそこに居るのではないんだよ、どうしようもないんだよ?
望んだところで上に行ったり下に行ったりできなんだよ。
人間のこの社会も一緒ならば・・・
ほらねっやっぱり幸せを求めるなら頑張らないでエヘヘって笑っていた方が懸命だよ(笑)
30年後、いや10年後、世の中の価値観はどちらへ傾いているのだろうか?