私は言語学をかじっている学生でありんす。
言語学と言っても幅広うございます。
今日はその中でもDeaf&Sign Languageについて書きます。
(専門ではないので悪しからずm(__)m)
手話ってみなさんどっかで見かけた事ございますよね。
日本語の手話を例にとると主に2種類ございます。
日本語対応手話と日本手話でございます。
前者は、
heard personが使うspoken lngでもある日本語を逐一同じ順番で手話に変換したものです。
後者は、
いわゆる日本語とは全く異なる、そしてしっかりとした文法規則を持つ手話の日本語ちゃんです。
なので、
言語学者はそれを列記としたlanguageだと認識しております。
これに加え、アルファベットをスペルに合わせて表現する方法もあります。
特定の手話のない地名や固有名詞を表すために用いられます。
Deaf Right (Pride)ということがアメリカで問題として取り上げられ始めました。
Deafはimpairmentではないのだ、選択して私たちはdeafで居るのだという方々です。
治すという言葉もおかしいのだと主張する方がいらっしゃいます。
しかし、
それならばと政府が助成金をなくしたら困ると、反対する方々もいらっしゃいます。
頭の中と耳の中に医療機器を入れて音を感知するという方法もありますが
問題は山積みです。
これについても廃止しろという方々もいらっしゃいます。
これから先医療の進歩で何が起こるのかわかりません。
医療の進歩で耳が聞こえる事を望む方がいる一方で
そんなもの作る事自体が自分たちの尊厳を無視しているという方もいらっしゃるのです。
日本でも障害という言葉の使用は考えものだと議論されておりますね。
障壁でも害でもなく個性なんだと主張されている方もいらっしゃいます。
言語学者の中には
deafの子ども達への言語指導の方法を考えている人たちがいらっしゃるのです。
さまざまな言語障害がありますが
その治療(病気や後遺症としての言語障害もあります)に専門家として携わっていけるという事を知った時は
将来の道が広がった気がしました。
最終的に
この恵まれた環境で勉強させていただいている事は
社会に恩返ししていかねばならないと思っています。
好奇心を満たすためだけの研究はどうも・・・
誰かが生きづらい社会は誰にとっても生きづらい社会なのだと
私は思っております。
たとえば、
女性を家庭に押し込める社会は女性だけではなく男性をも押し込めているんです。
女性を家庭に押し込める代わりに自分は社会で働き続けなくてはいけませんから。
また、
女性、男性という二分もコンテクストによっては無用です。
女性と男性を両極に置いたグラデーションで考えるのもよいですよね。
つまり、
誰かを犠牲にした上で、
誰かを切り捨てた上での幸福なんて成立しえないんです。
誰も幸福でない悲しい世界なのかもしれません。
幸せにになりたければ
誰かの幸福を願うほかに道はないんだと思っております。
peaceはきっと私たちがonenessとして生きる事でもたらせられる状態なんだと思うんです。
(onenessという概念は、Sri Chinmoyがおっしゃっています)
すべての人が私の願いを叶えてくださいって願うのなら、
誰の願いも叶わない。
誰かの願いを叶えてあげなければ。
みんながそう生きれば、
みんなの願いが叶うのだと、
そう信じております。
さて、
喉が痛いので勉強の続きはまた明日にいたします。
みなさまに、
素敵な夢を![]()