先日、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会家族会事務局長の増元さんの話をじかに聞く機会がありました。
ある日突然家族がいなくなり、四方手をつくしても行方が分からず、神隠しにあったとしか思えない状況に何年も置かれ、どこに言っていけばいいかも分からず、ようやく何年もたって、北朝鮮にという話が分かり、国はとうに知っていたにも関わらず知らされず、そして、知らされなかっただけでなく、何もしていないことが分かったときの憤り。今でも、ほとんどの情報は国から知らされている訳ではなく、マスコミからだったり別のルートだったりという状況。

いち個人で北朝鮮という国を相手に交渉することはできず、政府の手に委ねることしかないのに、国は当事者意識が薄く、何年もの間拉致自体がないことにして何もしてこなかった。ようやく、事態が動き出しても向こうの思うがまま。30年たってもいまだに、帰ってこない家族。失った30年はあまりにも大きい。

特に、何も分からなくて、何年もの間、何もすることができず、動けなかったことに対して、自分が何もしなかったという無念さ、お姉さんを助けてあげられなかった事への申し訳なさに悔いているということを聞いて、それは仕方がなかったということは簡単だけれど、それでもと胸がつぶれる思いでした。

翻って自分の身を考えたとき、子育てや障害に向き合う、まさに、当事者としてできることは、もっとあるのでは?
後悔しないため、同じ思いを後の人にさせないために、自分でもできることはあるのではないかと思ったのでした。