GTOに憧れていた先生の話 | 山本春王のブログ

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最近、色々なことが重なって、辛かったりしんどかったり落ち込んだり、全てを投げ出してもいいかと思うくらい、気力が無い日々が続いていた。

しかし、それは結果として、自分を見つめなおす機会になった。

その中でひとつ思ったことを書こうと思う。

ちょっとした昔話だ。

高校の頃の話。


俺が高校一年生の時、GTOに憧れているという新任の先生がいた。‬

その先生は、三年間でみるみる大人しくなっていき、GTOとは程遠い人間になった。

一年生の時、唯一、頼ったら助けてくれるかもなと思えた先生だったが、二年生以降からは疎遠となった。

GTOほど目立つことをしていたわけでもないし、その先生なりに生徒のことを考えて、親身になってくれていたのだと思うが、きっと、保守的な上の先生からの圧力があったのだろう。

GTOなら、それでも生徒の為にと、そんな圧力も跳ね返し、自分の信念を貫けるような行動をして周りを変えていくのだが、そうはならなかったようだ。

でも、仕方のないことだと思う。
その先生は若かったが、奥さんも子供もいた。
家族のことを考えたら無難にならざるを得なかったのだろう。

一年の頃は、学校終わりにご飯に連れて行ってもらったこともあった。

先生の自宅の庭でのバーベキューにも誘ってもらった。

クラスに友達がいない中、高校という場所に雰囲気に溶け込めない中、その先生の存在はかなりの救いだった。

悩みを聞いてもらったわけでもない、ただ親身に仲良くしてもらえたこと、そして先生の仕事だって大変だろうにその中で仕事以外の時間にも積極的に生徒と接しようとしてくれていたことが、本当に生徒想いの先生なんだろうなと、個人的にはそう思っていた。

しかし、いつの間にか先生の仕事以外での接触は無くなり、日に日に、先生の熱い気持ちが冷めていっているのを感じるようになった。

GTOに憧れて、最初の自己紹介で、黒板にGTのあとに自分の名字の頭文字を書き、自分の想い、自分の目指す教師像を熱く語っていた先生の影は、どこにも見えなくなってしまった。

それから俺は、ずっと、大人になんかなりたくないと思って過ごしている。

今の高校生は、夢とか将来への希望がない人が多いと感じている。

しかし当たり前と言えば当たり前だと思う。

だって、自分の将来の見本のひとつである周りの大人に夢や希望を感じられないのだもの。

信念は折られ言われるがままに従って文句を言いながら仕事をする。

そんな大人達を見て、誰が大人になりたいと思うのだろう。

だから俺は、自分の信念を貫き、そこに魅力を感じてくれる人たちに、人の生き方のひとつを見せたいんだ。

人の生き方、人生、人生は色々さ、何の為に仕事をするのかも、誰の為に何の為に働くのかも、何かの為に信念を捨てるのも、苦しい思いをしてまで信念を貫くのも、人それぞれ、人生色々十人十色。

俺は信念を貫く姿を見せたい。
そういう生き方をする。
たとえ苦しくても。