薩摩川内市入来。市町村合併前は入来町という独立した自治体でした。町名は、島津氏が薩摩に下向する以前から、この地に勢力をもっていた名門豪族「入来院氏」からきています。前の町役場から裏手にかけて、小規模ながら武家屋敷が残されています。その一角に「いくさ墓」と書かれた案内板が目にとまったので、行ってみました。苔むした小さな墓石のようなものが沢山建てられており傍らに由来の書かれた説明文があったので、ご紹介します。
戦国時代、戦に赴く武士達は、自身の77回忌までを済ませ、後に憂いを残さず出陣して行ったそうです。その事を「予修」と言い、自ら建てた墓のような物を「予修塔」と呼んだそうです。
ここには入来院氏の家臣達の予修塔が建ち並んでいますが、その中に入来院六代当主重門、八代当主重長、九代当主重茂、十一代当主重聡らのものも確認出来るそうです。








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