今日14:51
妹が37歳で天国へ旅立ちました・・・。
もう、腕が皮しかない感じだった・・・。
骨みたいだったな。
呼吸が辛そうでさ。
意識が朦朧としてたんだよね・・・。
眼球が白目で瞼が半開きで昏睡状態で、
もう目が離せなくてさ。可哀想すぎたよ(涙)。
苦しそうに呼吸する姿に涙したな・・・・。
先週まで普通に話せてたのに!
ここまで変わっちゃう?って衝撃的すぎでした(悲)。
今日明日が峠ですって先生に言われ
危篤になってから5時間半・・・・。
父と母と私と3人で妹に一生懸命声をかけ、号泣しながらみとりました。
宮城県立癌センターに9日間。
東北大学病院に53日間。
卵巣癌・子宮癌・癌性腹膜炎・水腎症・肺動脈血栓
の末期癌で
癌発覚から2ヶ月で他界してしまいました(涙)。
手がね。小さいの。
おまけに腕がすごく細いの。
血が通ってないんじゃないか?ってくらい冷たくてさ・・・。血管が浮き出てて、皮と骨しかない感じ。
触った瞬間、泣いたよね。
亡くなった瞬間
妹の左目からつーって涙が流れてました。
生きたかったよね。
死にたくなかったよね。
まだしたいことがたくさんあったよね。
お母さんやお父さんと会えなくなるのイヤだったよね。
家族で旅行にいつか行きたいって言ってたね。
会社の人たちともっともっと一緒仕事したかったよね。
昏睡状態になるまだ前の睡眠中の時も『次の方どうぞ~』『仙山線は・・・』って、寝てるときも寝言が仕事の会話でびっくりしたよ。
大変だって言ってたけど、仙台駅での仕事、大好きだったんだね。休んでる間も気になってしょうがなかったんだね。
会いたい友達がたくさんいたよね。
前の職場の友達や学生時代の仲間とまたご飯行きたかったよね。
もっと友達と飲みに行ったり遊びに行ったりしたかったよね。
年1ぐらいで集まってる高校の剣道部の飲み会も参加したかったよね。
妹の身体の心配をして下さった皆様に感謝です。
今を必死に頑張って生きようとした妹に
感謝の気持ちと旅立ってしまった寂しさでいっぱいです・・・(涙)。
お母さんがね。話してくれた。
先生に妹が余命宣告された日(6日ぐらい前だった)
寝る前かな。
『お母さん、何も残してあげられなくてごめんね』
妹がそういったんだって・・・(涙)。
こんな時も、いつもいつも人の心配ばっか・・・。
いつもそう。
自分が死にそうな時にまで人の心配ばっかして・・・(涙)。
母から妹が亡くなった直後
妹の話を聞かされ、また泣きました。
あたしがダメな姉だからかな。
妹はこんなに優しく育ったんだろうね。
どっちが姉かわからない。
病気、代わってあげられなくてごめん。
悔しい気持ちでいっぱいになった・・・。
亡くなる14:51まで、
妹と幼少の頃から遊んだ時間や
最近ご飯食べた時のことや喧嘩した時のことなど、
過ごした時間をものすごいスピードで回想したよね。
画面の脈拍の数字とか無くなった時、妹の名前めっちゃ叫び続けました (涙)。
今までありがとう・・・。
もう、それしか言えない。
生きてほしかった。
生きててほしかった。
遠くにいても、なかなか会えなくても
ずっと今を生きてほしかったけど
別れは思いよりもいつだって先にくるね。
妹が生きれなかった今日という時間も、
あれほど生きたいと願った明日という時間も、
これからはあたしが生きます。
明日は通夜。明後日は葬儀。
受け入れがたい現実にたくさん泣いても、
心配性で優しい妹に
両親の親孝行をちゃんと約束し、お別れをしてきます。
これからはもっとあたしが頑張る。
そんなわけで
妹の葬儀は明日12(月)と明後日13日(火)に
仙台市内の葬儀社で行うため
HARURUNは臨時休業とさせて頂きます。
ちゃんと伝えてきますよ。
今までありがとう。
空からあたしのこと見てて。元気でね。って・・・・、