阪神淡路大震災が発生したのは、1995年(平成7年)1月17日の火曜日。

今から28年前になるんですね。

一人暮らしのアパートで、朝、テレビをつけると、いきなり壊れて落ちた高速道路の映像が目に飛び込んできてびっくりしたのを覚えています。

 

自分が生きている間に、あれほど大きな地震はもう起こらないだろうと思っていました。

 

けれど、2011年(平成23年)3月11日の金曜日、東日本大震災が起きてしまったのです。

 

 

上記の記事には、

“官邸に詰めていた東電の武黒一郎フェローから、官邸の意向として海水注入の中止命令が来た”とありますが、「菅直人 公式ブログ 海水注入の真相(3月12日)」には、

結論から言えば、私をはじめ官邸の政治家が、海水注入を止める指示を出したことはありません。むしろ私たちは「早く注水するように」と指示していました。

と、書かれています。

私は、まだまだ勉強不足で、福島第一原子力発電所を大津波が襲ってから何が起きたのか、本当には分かっていません。

 

それでも、門田隆将さんが、

吉田さんのもと、心をひとつにした部下たちが放射能汚染された原子炉建屋に何度も突入を繰り返し、ついに最悪の事態は回避された。吉田さんが、「あの時」「あそこにいた」からこそ、日本が救われたのである。

と、書いているように、福島第一原発の元所長、吉田昌郎さんをはじめ、自分の命を顧みず私たちを守り抜いてくれた人達がいた。

そして、幾つもの運が重なり、ここ東京での生活を続けることが出来たのです。

 

それでも、放射性物質の拡散により、生きてきた場所を離れざるを得ない人たちもいた…。

吉田さんは、昨年2月7日に食道がんの手術を受け、回復するかにみえたが、7月26日に今度は脳内出血で倒れ、二度の開頭手術とカテーテル手術を受けた。

しかし、がん細胞は肝臓へと転移、最後は、肺にも転移し、太腿に肉腫もでき、肝臓の腫瘍はこぶし大になっていた。

と、上記のサイトに書かれています。

吉田元所長は、事故のあった2011年の11月には食道がんのため入院、2013年7月9日に亡くなられています。

 

亡くなられた日の日本経済新聞には、

東電によると、吉田氏が原発事故後に浴びた放射線量は計約70ミリシーベルト。東電はこれまで「被曝(ひばく)が原因で食道がんを発症するには少なくとも5年はかかるとされており、事故による被曝が影響した可能性は極めて低い」との認識を示している。

と、書かれています。

 

ストレスがあまりにも強かったのかもしれません。

 

でも、勉強会で、放射線は様々な症状を引き起こすけれど、それらに放射線が関わっているかどうかは、なかなかわからない、とも教わりました。

 

悲しいですが、例え政府や専門家が安全だと言ったとしても、因果関係があると判断出来ないから危険性が見逃されていないか、疑い、調べなければいけないことに、私たちは気づき始めています。

 

故郷に帰ることを、諦めた人も、待ち侘びている人もいる。戻せないことも沢山あるのに、政府は何故、原発推進に舵を切ったのでしょうか?

処理水の海洋放水も、本当にそれしか選択肢が無いのでしょうか?

除染で生じた除去土壌の実証事業が新宿御苑で計画されていることも、全て繋がっていると思うのです。

 

新宿御苑の件をきっかけに一人でも多くの方に関心を持って頂きたいと思っています。

 

1月24日(火)19時から、四谷地域センター12階多目的ホールにて、下記の会が開催されます。

どなたでも参加可能です。

平日ですが、ぜひ会場まで足をお運びください。

 

 

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