昨日、文字制限でツイッターでつぶやききれなかったことを、こちらに書いてみたいと思います。
昔、深部マッサージとクレニオセイクラルセラピーのセッションの後、セラピストから、
「あなたは深い瞑想の質を持っている」と言われたことがありました。
外国の方で瞑想も常としていましたから、眠っているわけではない私から何かを感じたのでしょう。
セッションを受けるとき、ぐっすり眠り、目が覚めたらお喋りをするのも、もちろんOK。
でも、私には、セラピストの手に導かれ自分の内側を見つめ続ける時間が必要でした。
中高時代、授業の初めに、皆んなで目を閉じて静かに座る時間がありました。
でも、私は、強迫症状真っ盛り。
洗った手から廊下に落ちた一滴の水で誰かが滑って頭を強打しないか、
ボールにつけてしまった小さな棘が誰かの指に刺さり、血管を巡り心臓まで行ってしまわないか、
なんていう強迫観念が頭を駆け巡り、一時たりとも寛ぐことが出来ませんでした。
幸い、大学入学を機に激しい強迫症状は消え始め、残ってしまった強すぎる恐れを押さえつけ、自分はどこもおかしくないということを証明しようと躍起になりました。けれど、ネガティブな感情が蓋を吹き飛ばし溢れ出てきた時、白旗をあげざるをえなくなり助けを求めました。
そして出会ったセラピスト達の影響もあったのでしょう。
私は寝る前に目を閉じ静かに座る時間を持つようになりました。
強迫症状が激しかった中高時代と何も変わっていないと絶望していましたが、そのことによって、明らかに違っていたことがわかりました。
今は何も出来ないから考えるのをやめようと言い聞かせると、頭は鎮まり、過去や未来の心配から解放された時が生まれたのです。
ベストな解決方法を選ぶため、思考を巡らすことが必要なときも、もちろんあるでしょう。
でも、
私の人生は悩みが尽きない。
あの人のせいで悩みから解放されない。
と、感じているなら尚更。
例えば寝る前とか、ボディーワークを受けている時とか、悩んだって今は何も出来ないという時に、意識して悩みから解放される時間を作ってみて下さい。
そんなこと言ったって、思考は湧いてくるんだからしょうがないと思われるかもしれません。
でも、私たちは親指ではないように、頭でもありません。
巡り続ける思考は頭の暴走と言っても良いように思います。
中高時代の私のように何らかの問題が生じている場合は、先ずバランスを取り戻すことが必要なのでしょう。
けれど、自分の問題ではなく、外側の状況によって湧いてくるのだから思考や感情はどうしようも出来ないと思い込んでいるとしたら、ちょっと疑ってみて下さい。
以前の私のように、床に落とした一滴の水で何かが起こってしまうのではないかと、延々思考が巡ってしまう人がいるように、同じ課題があっても、ずっとそのことを考え続けている人もいれば、直ぐに頭を切り替えられる人もいます。
よく言われることですが、私たちは思考や感情とイコールではありません。
湧き上がってきた思考や感情に飲み込まれるのではなく、それを見つめることが出来れば自分独特の癖があることにも気づきます。
また、悩みを一旦、天にあずけ考えるのを止めた時、ふとアイディアが浮かんだり、物事が好転することって確かにあります。
私の場合は、あるセッションで、「あなたは問題を頭で解決しようとする癖がある。
あなたにとって考えることは全く役にたちません」ときっぱり言われてしまいました。
如何にも理不尽な強迫観念は消えても、確かにずっと、頭だけがフル回転していましたから、あのぐらいガツンと言われる必要があったのでしょう。
「考えるのではなく感じることを思い出しなさい」
そう言われても何のことだかよくわかりませんでしたが、考えるのは頭ですが、感じるのは体なんですよね。
風が心地良いと体が感じたことを頭が受け取る。
体と頭の繋がりに問題が生じると、頭が暴走してしまう場合もあるように思います。
肚・ハート・頭の繋がりも大切ですよね。
セラピストの手に導かれ、体の内側に意識を向け起きている変化を見つめ続ける。
それも、バランスの崩れた自律神経を癒してくれるとともに、頭と体を繋げる助けとなってくれます。
セッション中に眠るのも、お喋りも、もちろんOK。
でも、もしその気になったら、自分の体や呼吸、浮かんでくる思考や感情をゆったりと見つめ続けてみて下さい。
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