昨日の記事で、ドランヴァロ・メルキゼデク氏の著書、『フラワー・オブ・ライフ』の第2巻「二元性を超越する」という章から引用させて頂きました、
〝 人生で出合うさまざまなことを裁き続けているかぎり、私たちはそれらに善か悪かいずれの力を与えることになり、それによって人生の針路も左右されます。こうしたことをやめて二元性を超越するには、私たち自身が二極性の外に踏み出さなくてはなりません。(後略)P,279〟
という言葉は、私が尊敬するボディーワーカーたちの言葉とも通じるものがあります。
ARUN CONSCIOUS TOUCH JAPANのホームページから、
アルーンコンシャスタッチの創始者、アヌブッダ とアナーシャの言葉を引用させて下さい。
〝まず、セッションテーブルに横になっているとき、ギバーに対してどんなフィードバックも(聞かれない限り)与えようとしないこと。もっと違うようにタッチしてほしいと、考えることすらしない。
今受けているこのタッチと、これまで受けたことのあるタッチを比較しない、判断しない、そして起こっていること以外のものを欲しない。難しいですか? けれど不可能なことではありません。
期待、欲望、幻想、そして恐れを手放して、この瞬間に興味を持つこと。
あなたの人生のまさにこの瞬間、ボディマインドの内側で、シンプルにタッチを使って、今、この現在にいることができます。〟
私としては、もっと載せたいのですが、続きは、「瞑想としてアルーンコンシャスタッチを体験する Part1」で読んでみて下さい。
ギバーとは施術者のことですから、セッションを受ける人に対しての言葉なのですが、
〝もっと違うようにタッチしてほしいと、考えることすらしない。〟
と、いうのは、日本ではちょっと考えづらいですよね。
治療ならもちろん、リラクゼーションにしても、凝りをとってもらうためだとか、 至福の時を持つためだとか、皆、自分の希望を、自分の好む方法で叶えてもらうために行くのですから。
今は、二極性の一方から一方へ変化出来るとうたったセッションやワークショップも沢山ありますし、当然ですが一人一人が必要と思うものを自由に選べば良いのです。
ただ、変わりたくて、楽になりたくて、
セッションを受けるときはいつも、
今日で全てが変わってほしいという過剰な期待でいっぱいだった私が、
判断せず、変えようとしないセラピストばかりを選んできたのは、
やはり、
深いところでは、
起こること全てを信頼し、
いつかは二元性を超えようと思っていたからでしょう。
瞑想というと宗教的で嫌だけれど、マインドフルネスならという方もいらっしゃるでしょうし、リラックスして、今この瞬間起きてくることに気づいている、
そんな時間を持つことの効用を知っている人も増えているのでしょう。
心地良いと思えないのに、無理矢理やるのはお勧めしません。
けれど、期待を手放し起きてくることをただ信頼する。
それにより訪れることもある深いリラクゼーションと、気づきを、ぜひ、体験してみて頂きたいと思っております。