今思うと、母の精神的に不安定な一面は、私のように、本人も忘れているような幼いときの出来事によるトラウマからきていたのかもしれません。

そして、父は、私と23歳違いの姉がまだ幼かった頃、寝ている彼の布団に潜り込んだところ、ガバッと布団をはいで起き上がり、

「何をするんだ! びっくりするじゃないか!」と怒鳴ったそうです。

明らかに、彼も戦争によるトラウマを抱えていたのでしょう。

姉は、戦争が終わり中国から戻った彼が毎晩のようにうなされていたのも覚えているそうです。

目の前で繰り広げられる残虐な行為。

自分の命がいつ奪われるかわからない恐怖。

そして、誰かの命を奪っていたとしたら…。

込み上げる怒りをコントロール出来なかったとしても、脳に残った痕跡を治療してもらうより、起こってしまったことへの救いが欲しいと思うことでしょう。

 

私の強すぎる恐れは、乳幼児期の斜視の手術によるところが大きいと今は確信しているのですが、閉じ込められたエネルギーの方向は加害恐怖へと向かいました。

誰かの人生を滅茶苦茶にしてしまうような失敗をおかしてしまうのではないか、誰かの命を奪ってしまうのではないかと、常に緊張し、常に恐れていました。

なぜ他の人が恐くないのかが不思議なのです。

「あなたの人生にはあなたの恐れているようなことは絶対に起きない」と言い切ってくれる人に会いたいと思う一方で、私は、人の命を奪ってしまうという救いなどあるはずもないことに、救いが欲しいと切望するようになっていました。

 

確かに、予期せずして加害者となってしまう人はいて、私にとってみれば重要な問題。

人間の大きな課題を、脳の問題などといって片付けて欲しくないという思いもありました。

 

それこそおかしいと言われればそれまでです。

トラウマを抱えた親の子はトラウマを抱えやすいということも確かにあるのでしょう。

 

けれど、身体と心が裏表のように切り離せないものであるように、この現実世界の背後にはもっとスケールの大きな何かがあると感じてしまう私は、同じテーマを持った仲間が家族となることもあるように思えるのです。

 

そして、注目されることもなかったトラウマというものが何をもたらしてきたのかが明らかになろうとしている今。

この時代を迎えるために多くの人たちがバトンを渡し続けてきたようにも感じるのです。

 

 

奥多摩にて

 

 

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