「閉じ込められた過剰なエネルギー」から続く
医療によってトラウマが生じることもあるという事実は、あまり知られていないように感じます。
けれど、トラウマに関する本を読みはじめてみると、必ずといっていいほど手術による症例が出てくるのです。
全身麻酔で身体は動かせず声も出せない。
そんな状態では、意識が戻ってしまったとしても交感神経系の働きは抑えられているように感じてしまいますが、そうではないようです。
脅威に直面し身体の中では行動を起こす為の準備が進んでいきます。
けれど、戦うことも逃げることも、そして、「意識があります。やめて下さい」と声をかけることも出来ず、それでいて苦痛だけは生々しく感じる状態なのです。
最後はシャットダウンが起こり意識が無くなる。
ああ、良かったですみそうですが、実は、解放されず閉じ込められた過剰なエネルギーによってトラウマ的な反応が引き起こされるケースがあるのです。
何度かこのブログにも書きましたが、5歳ぐらいで受けた斜視の手術でのこと。
横になり、麻酔がきくのを待っていた私の耳に「患者さんが眠られました」という女の人の声が聞こえました。
(え―、まだ起きているのに。後で、寝てなかったんだよと言って皆を驚かせよう)幼い私はワクワクしながら手術室に入りました。
天井の照明の光が見えたようにも思います。
けれど、いきなり大きな酸素マスクで鼻と口をふさがれ私はようやく、自分が大変なことをしてしまったと気づきました。
そして、とっさに、寝ていなかったことに気づかれてはいけないと思いました。
重いゴムの匂いに圧倒されながら送られてくる酸素に何とか呼吸を合わせようとしました。
でも、直ぐに限界が来ました。
息が止まる、そう思ったところで意識が途切れています。
苦しかったことは覚えています。
けれど、どこまでが事実かもわからない出来事。
でも、この時閉じ込めた過剰なエネルギーをずっと抱えてきた可能性は高いです。
そして、それだけではないのでしょう。
身体を意識し始めて22年以上が経ちますが、未だに身体の緊張は強いです。
それがどこからくるかといえば、中心は斜視の手術を繰り返し受けた感覚の乏しい左目なのだと最近気づきました。
ピーター・リヴァインは著書『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(雲母書房 刊)の中でトラウマに先行する出来事の例をあげていますが、『●医療・歯科治療の処置』とは別に『●手術、特にエーテルを使った扁桃摘出、耳鼻科やいわゆる斜視の手術』(p,65)と書いています。
内斜視が見つかったことで、最初は1歳になるかならないか、それからおそらく2回は就学前に目の玉の位置を調整する為の手術を受けています。
手術の後「痛い痛い」と泣かれて困ったと母親に言われたことがあります。
けれど、私自身には痛かった記憶というものが全くありません。
でも、何せ半世紀前のことです。
痛いと言葉にすることが出来なかった最初の手術においてさえも、過剰なエネルギーを封じ込めてしまった可能性は充分あるように思うのです。
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