雨に打たれている鉢植えの草木が気になって、今朝は早い時間に起きました。
台風情報を確認するためテレビをつけると、NHKで、脳外科医である浅野孝雄氏と、禅僧である藤田一照氏が対談をしていました。
「こころの時代」のホームページから、今日放映されていた、こころの時代 アンコール「心はいかにして生まれるのか―脳科学と仏教の共鳴」の内容を引用させていただくと、
「脳外科医・浅野孝雄さんは、脳の手術や治療での`科学の言葉'と患者と接する時の`心の言葉'のギャップに苦しみ、人の心についての理解を深めるため、原始仏教のブッダの教えを学び始めた。そんな時、アメリカの脳科学者W・J・フリーマンの意識理論に出会い、ブッダの教えとの共通性を感じ取ったという。(後略)」
と、あります。
科学者や医者の中でも、宗教やスピリチュアルについて語る方々が増えてきた昨今、自分自身を振り返ってみると科学というものに対して敵対心のようなものを持っている…。
このこだわりも、そろそろ手放すときだなと感じて書いたのが、前回の「スピリチュアルと科学」という記事でもありました。
思い返せば、特に脳科学というものに対して、私は、長いこと恨みを抱いてきたのかもしれません。
恨みの根本原因は、私の偏見です。
時代の偏見、親や家族の偏見、それを引き継いで、私は頭の病気を恐ろしいもの・恥ずかしいものだと信じ込んでいました。
だから、強迫性障害の症状が激しかった中高時代、自分はどこもおかしくないと思い込もうとする一方で、頭がおかしくなってしまったことを誰にも気づかれまいとしていました。
そして、もうすでに、激しい症状は治まっていましたが、強迫性障害は心理的な反応ではなく、脳内の化学物質のアンバランスが原因だ、だとか、脳のどこどこに問題があるようだ、だとか書かれた本を読んだときは、遂にわかってしまったかとショックでした。
脳科学は余計なことをするという思いが、ずっとあったのかもしれません。
話は変わりますが、20数年前、勧められたボディーワークを集中的に受けて、自分の体がいかに居心地悪いかということに初めて気づいたと何度か書いてきました。
全てのセッションを受け終わったとき、頭部については特別感覚が鋭くなっていて、元に戻ろうとしているのか、頭蓋骨がギシギシきしんでいるのがわかる。そして、その中を行き場を失った電気の粒のようなモノが複数飛び交い頭蓋骨に当たっては跳ねかえっていく…。
そんな普通とは思えない感覚を呆れながら見守って(感じて)いたのですが、同じ経験をした方はいらっしゃらないでしょうか?
私の勘違いかもしれませんが、頭の中の過剰な電気についても科学が解き明かしてくれる日が来るといいなと思っています。
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