2026年8月6日は広島に原爆が投下されてから81年。
実は昨年12月、広島に行ってきました。
目的は、七宝焼作家であり広島で国民学校生(今でいう小学生)のときに被爆した田中稔子さんにお会いすること、
そして生まれて初めて広島被爆資料館や
原爆ドームをこの目で確かめる、見学すること。
事前に電話で稔子さんにはお約束をいただき、
一週間前には自分が何者かということと訪問の
目的を手紙にしたためた。
程なくしてお返事のハガキが。

彼女の作品の絵はがき。
実は拝見するのはこれが初めて。今までは、新聞記事で原爆に
ついての記述のみだったので。
宛名面には、
「(NPO)ANT-Hiroshimaの代表も見えられる」と言った
旨の文が。
期待に胸を膨らませ、いざ広島へ。

広島駅前にて
そこから乗り継いで、稔子さんのアトリエに。

エントランス
そして作品を拝見。
これらを生み出すことに関して、稔子さんの中
では大きな意味があったという趣旨のお話を
伺い、大いに納得、共感したのですがそれは
後ほど。

ヒロシマの樹

終章

ある事象
そして(これも楽しみだったのですが)他の
ゲストの方を交えての懇談。
ご同席いただいた方を一部ご紹介すると・・・
渡辺朋子さん(ANT-Hiroshima 代表)
山田寿則先生(明治大学、公益財団法人政治経済研究所)
服部年伸さん(サムシング・インターナショナル、ゴルバチョフ財団日本事務所代表)
それから、、、
お名刺をホテルにお忘れのことで
新垣記者(琉球新報)
(順不同)
季節柄クリスマスケーキやワイン、ノンアルの
スパークリングワイン、そして稔子さん手作りの美味しい
カナッペなどもご用意いただき様々な
お話を皆さんから伺うことができました。

お話をされる田中稔子さん

先に発たれた方以外で記念撮影
それまで稔子さんのご発言を読売新聞はじめ、様々な媒体で拝見していたのですが
この日は知らなかったことを教えていただき大変有意義かつ感銘を受けることとなりました。
やはり6歳での凄惨な体験は、生き様にも大きな影響を
及ぼされたとのことで、
強烈な記憶として刻まれた(全治一週間近い
火傷、通っていた学校は全滅、多くの学友を
失う)。6歳にして「どうせ人間は(いつかは)
死ぬ」、なんでガシャガシャ(生きるのを)焦る
のか、と。くわえて「今生きてる時にしたいことはしたいん
ですよ。 だから(子どもだから・・・とか関係なしに)何でも
やっちゃう」
以下、要旨となりますが
【被爆体験を話したきっかけ】
70歳までは一切引き受けていなかった。
ご主人が亡くなったことをきっかけにピースポートに参加しようと思い立ち2007年に乗船。
2008年参加時には「被爆者世界一周証言航海」があった。
ところが船のエンジントラブルで航路変更発生、当初証言を予定していたメンバーが足止めされてしまう。そこで稔子さんに白羽の矢が立ち急遽チームの一員として、空路南米ベネズエラへ
移動し、テレスール(衛星放送)で初の被爆証言を実施。
その後100近い国と地域でお話しされることに。
【対話・和解の実践】
原爆投下に関わる当事者の子孫(例: 米トルーマン元大統領の孫ダニエル氏、エノラ・ゲイ搭乗兵士の孫アリ・ピーサー氏)らと交流。謝罪の強要ではなく、相互に平和活動へ参画する立場を
尊重する姿勢を貫いた。
などなど、たくさんのエピソードなのだが今回はこちらを
紹介して一旦区切ります。
【七宝焼作品制作のきっかけ】
絵が好きで、上京し文化服装学院に進学も、帰郷して母からの
勧めで七宝焼のアクセサリー教室に通い出したのが七宝焼との
出会い。
3ヶ月通ったのち、この素材を使いメッセージ性のある作品を
作ろうと思い立つ。
そして別の先生に付いて、日展出展を勧められたのが本格的な
制作活動に至ることに。
【作品を(展示会に)出すことの意味】
今まで作ってきたのは、私にとってはもう過去のもの。
その(被爆体験の)トラウマをぶつけているが、それは古い衣で捨てた。 だから私にとっては今価値がない。 でも(作品と私のことを知る)若い人達に、かついだら27 キロもあるような
(一連の作品群を)産廃に出す予定だとここ(アトリエ)を改装する時に言ったら、それはもったいないだろうということで、
皆さんが取っててくださった。
私にとっては非常にありがたい。
(過去の作品は心の)モヤモヤを整理したもの。
それをまた後に役に立ててくださる、
こんなありがたい事はないというのが今の心境なんですけどね。
なぜそこ(日展など)へ出すかというと、締切りがないと、
(作品に込めた自分に湧き起こってきた感情に対する区切りが)終わらない。
文章でもそう、色々考えたりしてるとどうしても完全なものを
求めていると手を入れすぎてしまい手付かずになる。だけど締切りがあると、明日朝とか(完成させないと)ダメだとか。それで展覧会に出した。

アトリエには稔子さんのバイオグラフィーも。
なお彼女が話された最新の被爆体験はこちら。
(終了していますが、アーカイブ送付は受け付けているよう
です。ダメだったらごめんなさい)
さいごに
悲惨な体験は、戦争でも災害でも遭遇した際には誰もが深い
悲しみや怒りに包まれると思う。
でも、ここで辛抱しないと私じゃないとか、
涙を見せてはいけないとか、怒りを露わにする
のは大人気ないとかその「感情」をグッと抑えてしまう人もいるかもしれない。
ただし、その抑圧した(小池浩さん曰く「完了させない」)感情を溜め込んでおくと、やがてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してしまうリスクが生じる。
感情には二つのステップがあり、
第一感情 = 心の奥に一番最初に生まれた「本当の気持ち
(本音)」(悲しみ・恐怖・寂しさ)
第二感情 = 第一感情があふれて爆発した「あとの感情(おもに『怒り・イライラ』)」に分かれる。
一から二にはコンマ数秒で推移するので、そこを意識することはできないだろう。
また衛藤信之さんはこのように表現されている。
怒りは「感情のパトカー・救急車」
心の中で「悲しい」「怖い」という火災や事故
(第一感情)が起きた時それ以上自分が傷つかないように、
エネルギーあふれる警報として「怒り(第二感情)」を鳴らす。
火事(悲しみ)が先にあるから、サイレン(怒り)が鳴るという順番。
広島に伺った時に稔子さんからその辺りはお聞きすることが
なかったが、被爆した当日はもの凄い絶望と恐怖に包まれ、
涙が枯れるまで溢れ出たのだろう。
だからご自身の中で完了した感情の次のステップに、七宝焼が
しっかりとフィットしたのかも。
まだまだ広島訪問記は続きます。
お読みくださりありがとうございました。

