何度でも | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)



昨日の小さな小さな花と
猫じゃらしの在る辺り。

刈り取られても。

また何度でも何度でも

繰り返し繰り返し再生する。

根が生きている限り。











この夏に
もう三度くらい全て刈られていて。

気付くと
またにょきにょきと
生えている。

逞しい生命力と
そうして生きる必要があるのだと
自分の存在の価値に
揺るがないようにみえて。

人からみたら
ただの雑草としか
思わないほどの
ちっぽけな存在も

逞しく力強く蔓延る姿に
段々そうして生きるだけの
価値があるように見えてくる。

草を刈り草をかき分け
生きてきた人々の
傍らに尚剛豪と。


故郷の住みびとのない実家は
いよいよ蔓延る雑草や
家中蔦に侵食され

生命力で言うならば
草を刈り生きてきた人々の
儚く見える草よりも
もっと儚ないものを見るようで。

世界の終わりに
生きるものを考えてみた。

逞しい雑草と
人々との闘いで
逞しい遺伝子の進化を
年々繰り返すハエ。

人々に生き残るのは。
目に見える
形あるものではなく
魂と。心。



       バラ   

お疲れさまです。

草刈りなどあると。
多少躊躇います。
煉瓦の隙間のとても困難な場所から
精一杯頑張って生えて
小さな小さな米粒ほどの花を咲かせて。

抜くのに忍びないと思うような。
仕方がないから
えいっと抜きますが。

人々には美観も大切ですから。

美観の感覚がね。

ちょっとズレているから
こんな写真を撮るのでしょうね。

雨上がり。
ひと雨毎に
涼しくなるような
早々の秋の気配。

短い夏は終わりかな。

初秋が季節で一番好きですが、
夏の終わりはいつも
人恋しいような
寂しさがぽつり。

にゃんずとべったりする
嬉しい季節でもあり。

一日一日涼しさに
三匹が張り付いてきます。

どうぞ寝冷えにお気をつけて。
夏の疲れを残さないよう。
お元気でお過ごし下さいませ。

今日もラストまでHappyで。

明日また
素敵な一日になりますように。



Happy!ニコちゃん四つ葉ハート

春風

好

福島ならままどーる。

まだ言っとんのかー!
(((( ・д・)/--=≡(((卍


ナニ?(((( ;°Д°))))、、、



ベアちゃんが買ってきてくれる。
ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ、、、




flower1
 実家に絡まる蔦は恐らく母がこしらえた藤棚 の蔓かぶどうですね。ぶどうが家屋中になっていたらおかしい。藤の種が家屋中から毎年パンパンパンパン弾いてたらおかしい。藤の花が家屋中咲き乱れるとか。

そういう恥ずかしい状況にまではなっていないことを祈ります。

無花果の木が、長年の間にどのようになったかしら。とか。

たまたま家の関係の書類が届き。
家屋の外周の写真のコピーもあり、
それを視て無意識に泣きました。

お茶目な母の魂を想います。

あら〜やだ〜。天国より。

理想的なトトロの森の家。

倒壊の恐れが懸念されても蔦の絡まりで何とか保ってるとか。


全て風化され風と共に消えていく巨大な砂の国。最後に残ったのは蔦の絡まる「真実の家」だった。ぶどうの実を鳥が啄み地上へ落ちた。それを全ての生き物たちが自分に必要な分だけ分け合い…。

過去記事。砂の国より。



取り壊さなきゃならないんですけどね。
森の中なら、いい感じなんでしょうが。

町の住宅街の中だから。

寂しくても仕方ありません。


裏庭にも藤棚があり、前にも。
このマーガレットの向こうにある葉も
藤の花の葉。この奥が私の部屋。
日除けと目隠し。秋冬は開け放たれていた。
これが伸びたんでしょうね。
地震後、倒壊したブロック塀の代わりに
大工さんから頂いた廃材で、
父がリメイクしたこの自慢の塀は
もう無かった。

二階の雨戸?が落ちたんですって。



家屋中周りがこのようになってたら可笑しい。