まだお料理の「お」の字も全く知らない22歳。
会社の飲み会で、飲めないお酒を無理矢理飲まされて酔っ払っています。
この直後にテンションが上がり、割り箸を左右に持ち、空中に左で三角、右で上下に1の字を描き、それをずっと繰り返して「これ出来ますか?これ出来ますか?出来ます?ねえ出来ます?」と絡んでいたのは覚えています。
意外だとからかわれて大層喜ばれました。
箱根。同期の子が素直で純粋でめちゃめちゃいい子でした。
ビクター関係の経理課に所属していて。
めちゃめちゃ楽しくてひょうきんな同じ経理課の先輩と。
何か特別な生き物のように楽しい人でした。
タレントさんみたいでしょう?
今、しおらしくお料理んか作っていますが、会社勤めをしていたこの頃は、バブルの頃でお給料も良く、休日も多くて、外食産業に貢献するような人間でした。
性格は相変わらず無口で人見知りの。
お料理は、何も教わらなかったから。
台湾で生まれ育った母も、あまり得意じゃなく、いつも中華と和の融合のような不思議なお料理作っていましたから。
兄たちは、ちょっとでも早く食べたくて、私がお手伝いをしようとすると「邪魔になるでしょう」とさせてもらえなかった。
だからなーんにも出来ない人間でした。
だから余計に、元主人の義母のお料理や手際、味付けには素直に感動したように思います。
こうすればこうなるというお料理の思考回路が全く無かったから。
今お料理を楽しみながら、何故お料理が楽しいのか色々考えていて。
ふと突然何も知らなかった若い頃を思い出したりしました。
若い頃は若いなりの楽しい日々の思い出。
二度と戻らない「時」 でも大切に重ねた幸せはいつでもまた再び心に。
ささやかな幸せの明かりを灯す。
春風