記憶のチョコ-2013 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




2013年のtwitterから集めた記憶の写真たちより。


また手前味噌な話しなので、特に読まれなくても大丈夫です。

あまり気にされませんよう。

ただの記憶です。


もう度々過去twitterに描いてきましたが、


チョコレートと私の経緯(いきさつ)。



まだ小さな頃から、単身赴任が長かった父。

子供たちが学校を度々変わり、苦労しなくて良いようにと聞いてはいても、

まだ「寂しい」という言葉や気持ちさえ理解出来ない年齢の頃から、幼心に何とも言えない複雑な心境を抱えていて。

土日には家に居ても、月曜の朝にはまた行ってしまう。

日曜の午後辺りから、無償にまだ言葉にもし得ないジレンマを覚えて。

ムス顔ばかりしていて。


そんな私でも、土曜になると習慣のように浮かれて。

直ぐ上の兄と、どんな悪天候でも駅まで必ず毎週迎えに行き。

父は駅の売店で、兄と私に同じ分だけのチョコレートを毎回買ってくれた。

兄はちゃっかりしていて、それだけが目当てで。

チョコを受け取ってしまえば、さっさと先に帰り。

私は父の大きなゴツゴツした手と手を繋いで

まだ小さかった私の手をゴリゴリとやる。父の悪戯が好きだった。

チョコはおまけ。

でもそうは言っても、駄菓子屋好きの子供に一週間に一度の特別なチョコレートには嬉しさを隠せない。

ムシャムシャ食べた。

兄はけちんぼで、いつもいちいち「どこまで食べた?」と私に訊きながら、私より先に食べきらないように、密かに残しながら食べていて。

私がなくなったのを見計らって、目の前で美味しそうに残り食べて見せることが、密かに楽しみだった様子。

可笑しな兄でした。


そんな懐かしい記憶のチョコレート。

チョコ中毒気味なので、食べ始めたら止まらなくなる。

なので、今は年齢を考えてあまり食べないようにしています。

けれど、食べちゃう。


たまにはこんな風に沢山に並べて。

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ひ~(兄)はもう食べたくても食べれないねとほくそ笑んで拝みながら。


いちいち涙こぼれて。




クローバー

今日も一日お疲れさまでした。

まだありあせる。また少しずつ。

夕方から生暖かい強風。雨が降るでしょうか?


ゆっくり休まれて。明日また素敵な一日になりますように。
クローバーヒヨコドキドキ