◆記録-表現侵害について- | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




これから復旧していく記事か復旧した記事か、まだ確認していませんが、

雷神の出てくる記事中に。

「私はそこにいたけれど、いなかった」



「自由という不自由さ」

「お母さんがそうっとキルト(他ニット)をかけてくれた。僕は気付いたけれど、気付かない振りをしたんだ」

これはぶぶの記事。同じ内容の記事複数あり。

子供の頃に真ん中の兄がよくそうしてくれて、私はその度に、気付くけれど、気付かない振りをして眠っていたから。

優しさをいつも気付いて知って、嬉しくて。気付いて嬉しかったことを、知ってるのに知らない振りをすることがまた妙に心地良かった複雑な子供心。それを描き記しておきたかったから。

「知ってるけど知らない」森の野良猫さんとの会話。そんなことを言っているように見えたから。

これは直ぐ上の兄との記憶。色々何でも詳しく教えてくれる兄。驚くような様々なことを教えてくれて、直ぐ上の兄からの影響は今も凄く大きい。

逆説も兄の影響。「こうこうだけれど、それはこうこうとも言える」

でもたまに知ってることも教えてくれる。

「知ってる?」といちいち訊く兄。

その度に「(知ってるけれど)知らない」と言ってしまう複雑な妹心。


「遠くて近いもの」2014年twitterからのシリーズ。今blogにも複数記事あり。


このような相反するふたつの想いがが、一見全く逆で違うようだけれど、共するとひとつの感情に両方存在する。

そういう表現は旧blogから沢山ある。


「生きていたけれど●んでいた」子供。

これは記録でも描いた。記録の相手に「生きてるけれど●でる」と。

それじゃないにしても大切な「表現」として、「手法技法言い回し」の侵害。

それは「J」にもあった。2014~2015twitterに「夢みたいな夢みたいな」と描いた。

そのまま使い【夢みたいな夢】が繰り返し繰り返し出てくる曲の中にも、沢山の吸い取り侵害があり、その中に【気付いたけれど気付かない振りをした】というようなフレーズがある。

しかも意味不明の汚い不愉快な歌詞。お酒を飲みながら酔って書いたような歌詞。

(2012年の片っ端侵害曲とはまた別です)


そのような表現侵害をしている曲や他、沢山ありました。


言葉を変えても、聴く感触、視る感触、読む感触が同じように感じるならば、全て表現侵害ですから。


予め。


追記として。