三つ子の魂① | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




先日、旧blogの古い記事「roots」を再アップしましたが、私の両親は親の仕事の事情により台湾台北市で生まれ育ち、二人とも旧台北師範学校を出てから、付属の小学校の教師をしていました。


戦後日本へ引き揚げて後、父は小学校の教職を全うし、母は家庭に入り子育てと家事に専念しました。

twitterにも過去何度か描いていますが、私は兄三人、四人兄妹の末っ子。兄たちの話しによると、父も母も諦めていた初めての娘ということで溺愛していたとのこと。

「良いカメラも扇風機もクーラー(昔はエアコンでなくクーラー)も、テレビもみんな○子が産まれてから買った」と事あるごとによく言われて。

そんなこと言われても私は知りませんし、私の意志とは関係ありません。

と言われる度に思ったり。

とても有り難い幸せなことと感謝していますが。


母はとても穏やかで優しかったけれど躾には厳しかったり。

それなりに期待され過ぎる一人娘の苦労もありました。

三歳の頃、幼稚園に行く年齢になり、父が猛反対したそう。

大事な時に余計なことを覚えさせたくないと。

子供は悪い言葉ほど先に覚える。簡単で言いやすいからだと。

それ以前にそんな言葉たちは、兄たちが教えてくれましたが。

結局教師の資格を持った母が、童謡や絵本の読み聞かせ、言葉や文字、足し算などを幼稚園のように毎日教えてくれて。

なので、私は幼稚園という一番大切な時期の団体生活の中の社交性を身に付けることなく小学校入学まで過ごしました。

結果、小学校一、二年の頃は最先端をゆく登校拒否児。

毎日毎日泣きながら、母に手を引かれて強行登校。

クラスメイトが怖い。

話せない。

発表もみんなの前では無理で、いちいち先生のそばまで行って、耳打ちで答える。

そんな日々でした。

遠足も嫌い。車酔い。写真も嫌い。

何故みんなで行くか判らない。

本当に手がかかり、母を困らせて。

父は単身赴任で遠い学校。

土日しかおらず、月曜朝にはまた行ってしまう。帰る日を待ちわび、毎週毎週、日曜の夕方には子供のくせに憂鬱を抱えた、生意気なしかめっ面の子供。

小学校二年の時、既にストレスで円形脱毛症に(笑)。

通院し、赤外線みたいなのを当てられたり、母がヘアバンドで上手く隠してくれたり。

本当に、はっきり言ってどうしようもなく気難しく面倒な子供でした。



続く


21:43