「寂しさや自分の頑張りを分かって欲しい」
この思いが再燃の主たる原因だと思うが、また別の角度からの見方もあるんじゃないか?
それって何だろう?落ち着いているときに考えたこと。パソコンに向かうことができるようにななってきたので、忘れっぽいので自分のためにも書き記しておく。
【病気の苦しさの感覚を忘れていたこと】
「病気があって良かった」「苦労は宝だ」とここ最近はずっと感じていた。病気になったおかげで得たものがたくさんあるからだ。
今までとは違うものの見方や考え方、感覚、そして人間が持つ力と、人が繋がることにより生まれる力。実際、病気になってから自分の活動範囲はかわり、たくさんの方との貴重な出逢いで溢れた日々である。
その一方で、あのうつ病の苦しみは二度と味わいたくないとも思っていた。
そして、今の自分なら、再燃したとしても病気を眺めることができると、変に確信?妄信?して油断していたのかもしれない。
実際に再燃(かどうかまだ分からないが…)してみると、苦しくて仕方ない。苦しさと辛さが最高潮になると「病気を眺める」ことなんてできなくなることが分かった。
いいオトナが泣きながら床を転げ回っているんだ。
そして、こんな身体になってしまった自分が悲しくなる。
この病気と一生付き合って行かなければならないこと。
今、お仕事を休ませて頂き、家事を放棄して一日引きこもっている。
社会生活や日常生活に著しい制限をうけることを覚悟しなければならない。
そんな現実を目の当たりにすると「絶望」という文字が頭を巡る。
何故なら一生この苦しみとともに生きて行かなければならないのだから。
だから「死」や「生きることの放棄」を選びたくなる。
でも、ここで気が付いた。
私はいつのまにかこの感覚を忘れてしまっていたのだ。もう大丈夫。もう元気。何が起きても生きていける。そんな妄想に支配されていたのかもしれない。
うつ病の辛さの感覚を思いだして良かった。
きっとここ最近の私は相手の人の所に「降りる」感覚もなくなっていたのだろう。
この感覚を大切にするSWが私の目標である。
相手の気持ちに降りて寄り添う感覚。こんな大切なことを思い出させてくれたのなら、今回の再燃も「順調な苦労だった」と言えるのかもしれない。
せっかく生きているのだから、苦労させてもらってるんだから、そこにある宝に気が付きたい。
渦中は闇の中で見えないかもしれないが、いつか光が射し込む。
人生で起きる様々な出来事に無意味なものなんてないんだ。そう信じて生きていく。
